映画感想文「関心領域」 りんごを供える少女の力
この映画はルドルフ・ヘスの家族を通じてどんな人間にもナチス的なものがあることを描こうとしたのだと思うが、正直少し思惑とは違う映画になった気もする。というのはルドルフ・ヘスの家族がアウシュビッツ収容所で行われていることに何の影響も受けていないのかと言えば、確実に受けている、というか結果的にルドルフ・ヘスの家族は自滅したように感じる。
ヘスの妻の母親は、たぶんもうヘスの家族とは関りを持たない、あの置手紙にはこんな場所で平気で暮らせる娘とは絶縁すると書かれていた気がするので。それにヘスの子供たちも後半になるに従って精神に異変が起き始めていると受けとれるような描写が多くなる。ヘスと妻の関係も悪化して、ヘスが突然激しい嘔吐に苦しむシーンは壮絶だった。
ルドルフ・ヘスは映画では収容所で行われていることに、罪の意識も自己嫌悪も一切感じていない人間のように描かれている、だけどそういう自分の悪の行為に自覚のないヘスのような人間にも、現実で起きている悪の行為の影響は感染するみたいにヘスに憑りついて徐々に精神や肉体を蝕んでいく。
ヘスが廊下の奥の暗闇を眺めながら未来に嫌な予感を感じて怯えるように嘔吐に苦しむ場面には、戦争からどんなに遠く離れた場所にいても、直接関係がなくても、無視しても現実で起きていることの影響からは決して逃げられない、そんな因果応報の不思議な力を見てしまう。
この映画にアウシュビッツ収容所の壁というか土手に収容所にいる人のためにリンゴを供えるように置いていく少女が登場する(現実に実在した人をモデルにしている)、出演場面は少ないが、視聴者は最終的にこの少女が勝ったことを知っている。
監督はアウシュビッツで起きたことを日常の視点からリアルに描いて人間の中にある無自覚な悪を描こうとしたと思うのだが、この少女がリアリティーを超えたスピリチュアルな存在として、神の見えざる手のような役割をして、視聴者はそれにすがるように性善説を信じたくなる。
でもこの感情もこの映画が批判している現実に対する利己的な無責任さなのだと思う。どんな人間もアウシュビッツ収容所から聞こえてくる声を聴いて何も感じないことはないと思う。ただそう思っても具体的な行動に出るには集団行動が生むシステムの強力な感染力のようなものがあって、それをこの映画は表現出来たかというと正直わからない。