僕が思う「アトツギ」たる所以
こんにちは、サカイタカヒロです。
春らしくなってきましたね!
僕は4月生まれなので、春が大好きで。
桜に早く会いたいなと思っています。
そんな中(前フリが下手)、
JB Pressさんに取材を受けた記事が公開されました!
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55785
以前のnoteでお話しした、ベンチャー型事業承継(アトツギベンチャー)を知り、今、僕がなぜアトツギになったのか、などに触れて頂いています。
このnoteではその辺と補足追記をしていきたいと思います。
よろしくお願いします!
1、何故アトツギになったのか<マインド編~彩~>
今回の内容は多く、長くなりそうなので、まずは記事をお読みください。笑
で。詳しく内容を説明すると。
ここが僕の生まれた、今でも工房の一部になっているところ。
帯が床に並んでいて、小さな頃は踏んだら怒られました。笑
時が流れ大学、そして社会人。
当時のインスタに残っていましたが、大阪・京都でひとり暮らしをしました。
白い壁。
フローリング。
黒い扉。
一般的に当たり前の生活。
一人暮らしも5年ほどし、
社会人として色んな意味で「アタリマエ」になったと思います。
でも、今の僕、そして色々モヤモヤした時に実家に戻った時。
改めて見たんですよね。
帯を見て、糸棚を見て。
「今の自分の生活には、彩りが足りない。」
「今の自分って、モノクロじゃないか。」
若干話が戻るんですけど、桜が咲き、色が出る季節が春だと思うんです。
僕はACIDMANというバンドが好きなんですが、
(ACIDMANというバンドは静と動をテーマにしたバンドであり、演出にはグラフィックを用いた、音だけでない色や映像を重ねるバンドです)
本当は色が大好きだったんですよね。
根付いているというか。
僕は、彩りがない生活が
「もったいない人生なのかもしれない」
と感じました。
西陣織に関しても、
こんなに色が使えて表現ができる西陣織、素晴らしいじゃない。
「無くなるなんて、もったいない」
そう思いました。
2、何故アトツギになったのか<マインド編~香り~>
この道は、うちの工房に続く道です。
何の変哲もない、ただの路地裏です。
そう思ってました。
でも、ここにも自分のアイデンティティがありました。
西陣織はシルクの糸を使うことがとても多いです。
シルクはシルクで、「匂い」があるんですね。
久しぶりに工房に帰った時。
「懐かしいな」と感じたんです。
昔から自分が知っている、シルクの香り。
よく、香りで昔の恋人を思い出すとかありますけど(ノーコメント)
この香りは、幼少期を思い出すんですよね。
そういうのがあるって、アトツギたる所以だと思うんです。
僕は、この香りも残していきたい。
いろんな人に体験してほしい。
以前受講した「アトツギベンチャー養成講座」でも話していたんですが、
僕は多くの人に、人生のなかで色に溢れる豊かな暮らしをしてほしい、
と思っているみたいなんです。
それに気付かされました。
僕はとても時間を大切にするんですけど、
人が生きている時間の中で、なるべく豊かに生活してほしいと感じています。
そこからもブランドのビジョンである
「西陣織が彩る日常の創造」という言葉が生まれています。
3、何故アトツギになったのか<可能性編>
そんなことを思いながらもサラリーマンを続けていて。
平日夜や土日を使い、西陣織のお金にならない端切れを元に、色々と水面下で動き出しました。
もともと法人営業をやっていたので、色んな方に会う時に、西陣織に可能性を見いだし始めます。
でも、詰まるところ
「新市場は30センチの帯幅では対応できない」
というのが一番の課題になり、他にももろもろの新展開への障壁に気づきました。
そんな話をぱらぱらと、父親にもしている日々が続き。
とあるタイミングで、父の方で広幅の生地を使い始めることになりました。
それをこっそり見ていた僕は、ちょこちょこと利用するようになります。
すると、徐々に僕の新規事業でも実績がではじめます。
「おっと、これはいけるのでは!?」
そんなある意味の勢いと、サラリーマンの方でのタイミングにより、アトツギになることになりました。
なんだかいつもですが、ご縁とタイミングが重なり、自分らしく生きたいと思うことが、アトツギになるという選択肢に繋がった「だけのこと」だと感じています。
4、後半へつづく!!!
掲載されたJB Pressでは、職人さんの話にも触れています。
そこのフォローをしたいのですが、長くなるため、続きは後半で!!!
ではまた。
読んで頂きまして、ありがとうございました。
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