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【読書メモ】はみだしの人類学
「『はみだし』ってどんなことが書いてあるんだろう」とタイトルにひかれてポチっとしてしまいました。
実は、ロジカルシンキングの研修をやっているときに、受講している若者のアウトプットを見て「与件をちゃんと踏まえて綺麗なロジックなんだよなあ。でも、もっとはみだしていいんだけどなあ」と思っていたのでした。そんな折、amazonで出会った本です。
直線の生き方、曲線の生き方
パラパラ見ているとこんな図が出てきました。
![](https://assets.st-note.com/img/1654380730879-uF5hTgU2FT.png?width=1200)
「直線の生き方、曲線の生き方」というセクションに出てきた図です。
線には直線と曲線の二つがあるのに、私たちは知らないうちに直線的な歩みをしてしまいがち。だからこそ二つの歩み方があることを自覚できるかどうか。それが「よりよく生きる」ことにとって意味がある。
ロジカルシンキングのイメージは、直線です。最短距離で目標に向かうというスタイルの思考です。しかし、私たちの人生は、まっすぐではありません。いろいろと紆余曲折があります。
この紆余曲折は、人によってさまざまです。ゆえに誰かとコミュニケーションをとろうとすると分かり合えないことがあります。価値観や考え方が違うのです。このとき、事実と意見を分けて、互いに情報の非対称性を埋めながら、伝えたり、理解しあったりするのがロジカルシンキングというツールです。
直線で考えられると、きわめて物事が効率的に進みます。特に、私たちがビジネスのなかで求められることです。
しかし、そこに落とし穴があることを本書では指摘しています。まっすぐ、もれなく、ダブりなく進むことを求められると、寄り道をしなくなってしまいます。結果、新しい発見がなくなってしまう。そして、本当にやりたいことにふたをしてしまうことも起こります。
そもそも、まっすぐが必要なのはなぜでしょうか。
それは、互いに「違うもんだよね」ということを分かり合うために、「いったん仮に整理するとこういう直線だけどさ」と前提をおく行為に過ぎません。そこから互いの感じ方、考え方を交換し合い、学び合うためのツールがロジカルシンキングです。
つまり、ここでいうはみだしとは、いったん定めた前提からはみだすということです。それは、自分のなかでできあがった前提であったり、他者との間で合意されている前提であったりします。
そうしたはみだしがないと、わたしたちの進歩は止まるでしょう。
「わたし」は、固定的なものではない
読み進めていくと、とても共感する内容に出会いました。
文化人類学は、つねに「わたし」を起点に世界を考えてきました。それは「わたし」の枠組みに自分を押し込めるのではなく、他者との境界を越えた交わりに「わたし」が開かれるような営みです。これがあたりまえだ、この考え方が正しい、といった固定的な「わたし」へのこだわりが他者との出会いによって覆される。そして、またあらたな「わたし」の輪郭を手探りで見つけだそうともがく。その変化する景色を「おもしろい!」と好奇心にかられるまま歩んだ曲がりくねった道のりが、私にとっての文化人類学だったような気がします。
誰かとの関わりを通じて、自分自身が変わっていく。私たちの学びは本質的にそういうものだと思います。淡々と何かを覚えたりすることが学びなのではありません。
そもそも、私たちは、まっすぐではいられません。なぜなら、常に誰かとの関係性の中で「わたし」を感じる存在だからです。「わたし」とは固定的な何かではなく、変化し続ける中にあるのだと思います。