【読書メモ】対話力―仲間との対話から学ぶ授業をデザインする!
自分の原点に立ち返ることのできた一冊です。
本書のタイトルは、「対話力」。といっても、コミュニケーションスキルの本ではありません。
著者は白水始さん。学習科学や認知科学の実践的な研究者です。私たちが対話によっていかに賢くなるのか、対話にはどのような力があるのか、学習科学の知見や現場での実践をもとに書かれています。
私たちが誰かと対話するとき、頭の中で何が起こっているのでしょうか。多くの人が、誰かに何かを伝えようとすることで「自分が言いたかったのは本当はこれなんだ」と気づきを得る経験をしたことがあると思います。
私たちは、常に自分の内外で対話を繰り返すことで知識を作り変えています。知識というと何か正解があって、それを正しく覚えることで身に着くものと考えがちです。それは、ただの丸暗記であって使える知識にはなりません。そのことも直観的にあるいは経験的に理解できることだと思います。
にもかかわらず、教える側が一方的に伝えることが学習であるように捉えられがちです。これを「伝統的学習観」と言います。本書の一番の主張はその学習観のコペルニクス的転換がなかなか進まない、これを何とかしたい、という点だと思います。
著者の白水さんは、これを天動説・地動説になぞらえて説明しています。
さらに興味深いのは、次の一節です。
これにはグッときました。
先生は確かに不動の観測点から、生徒を見ているように思います。もちろん、生徒一人ひとりを見よう、個性を大切にしようと考えていると思いますが、それは、不動の観測点から見てしまっている。先生側が動かなければ、状況は変わりません。動くことで、光の当たり方が変わり、先生も生徒も一人ひとりが、自分が理解していることのその先を発見できるはずです。
もしかすると、先生は、動いて自分の考えが変わってしまうことを恐れているのかもしれません。本来は、互いに影響しあって、考えが変わっていくことを積み重ねて私たちは賢くなっていくのですが、教室という文脈における先生はその機能を奪われてしまっているように思います。
これは、職場でも同じようなことが起こっていますよね。トップが正解を持っていて、そこに忖度してしまうような状況です。これでは、イノベーションは生まれません。
私自身、コンサルティングの現場において、本書にあるような対話の力を意識して実践しています。
私がコンサルタントになったのは、認知科学を学んだことがきっかけです。最初に興味を持ったのは、かれこれ16年近く前。「分かりやすさ」を探求したいという思いから、大学院で学び始めました。当時はデジタルの学習教材を作っていたので、人の認知の仕組みを理解して、教材開発に活かせないだろうかと考えたのです。
当時、うまく言語化できてなかったなと思うのは、「分かる」の定義です。今回、本書を読んでリフレクションしてみると、私が考えていた「分かる」は、情報の非対称性が埋まることではないと気づきました。つまり、教える側が正解を持っていて、教わる側が正解を取得したらおしまい、ということではつまらないと考えていたのでした。
実際のところ、教材開発の考え方の中には、覚えるべき情報を因数分解して、筋道立てて並べて伝えれば、覚えやすいといったものもあります。それだと確かに効率的ですが、単に正解となる情報を分解して咀嚼しやすくしただけです。創造性がありません。それを「つまらない」と思ったのでした。
私が求めているのは、「おお、なるほど、そういうことだったのか」という発見があり、さらにそこから探究したくなるような状態です。それが本来の学びの本質であり、私たちの賢さを支える認知過程なのだと思います。
そして、そのメカニズムを生んでいるのが対話です。
対話であるということは、問いがあります。必要なのは、答え(正解)なのではなく問いです。その問いは、「不動の観測点」から発したのでは、それぞれが持つ考えに光をあてることができません。視点を変え、視座を変え、視野を広げることで、様々な問いが場を動かし、対話を生み、互いに考えを更新し、また、対話が進んでいくのでしょう。
そうした創発的な場づくりをこれからも探究したいと思います。
白水先生、有難うございました。
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