noteが活気づいているようです
近頃、俄かにnoteが活気づいているような気がします。
テレビや新聞でnoteを紹介しているのをよく見かけます。
個人的には急にフォローしてくださる方が増えて、驚いています。
先方に伺ってみると、「まだ記事がありません」という方も多く、
note人口が急増しているのが感じられます。
そんな方々にフォローしていただくのは、とてもうれしいことです。
ありがとうございます。
わたしがnoteを始めたのは2021年の夏の終わりでした。
無性に何かを書いてみたくなって、何か良いものはないかな…と、たまたま見つけたのがnoteでした。
TwitterもFacebookも性に合わず、ブログも何もやったことがなく、誰かのブログを継続的に読んだこともなく、noteで多くの人の記事を読めることさえも知らず、画像を貼り付けることも知らず、ただ只管投稿していたら、ある日ひとりの方からスキをいただきました。
こんな感じでnoteを始めた人もいるんですね。
稀に見る世間知らずの人間です。
今年の8月で3年になりますが、
2年間連続投稿をした後に、理由のない虚しさに襲われました。
まったく意味のないことに、時間を空費しているような気がしたのです。
わざと投稿を控えてみたりもしましたが、2日と続きませんでした。
note中毒という自覚はありましたが、見方を変えれば、文章を書くことが習慣化したともいえます。
その場所がたまたまnoteだったということです。
この間、noteを去って行った人もたくさんいらっしゃいます。
挨拶をして去って行った方は意外に少なく、突然煙のように消えてしまう人がほとんどでした。
寂しい気持ちもありましたが、無言で見送りました。
往く人があれば、来る人もいます。
出戻りの人もいます。
ここは社会の縮図です。
さて、文章を書くことに、如何程の意味があるのか、いつも考えてしまいますが、意味を考えて何もしないよりは、何かをすることに意味があると思いたいです。
書くってね、自分と対話することなんだよ。
高倉大希さんは、こうおっしゃっています。
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櫻井みけ子久美さんも、文章を書き続けることの意味について昨日投稿されていましたのでご紹介します。
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