№6103:「死」という言葉の使い方
こんにちは。FBL大学学長&スモールジム会長の遠藤です。
2013年から「少人数型会員制オンラインビジネススクール(FBL大学)」を運営し、2020年から約20坪タイプの「スモールジム」を全国に展開中です(2024年度内に全国50店舗体制見込み)。
さて、いつか書こうと思いながらも先延ばしになってしまっていた「アジア太平洋エルダーケア・イノベーションアワード2024」でのこと。
スモールジムは残念ながらグランプリを逃しましたが、私たちのカテゴリーでグランプリに輝いた香港企業の経営者(写真の白いタキシードの方)が受賞後に言われたコメントが以下です。
「10年間、死ぬ気でやってきた事業が評価されて嬉しい」
私は聞き取れませんでしたが・・そのように言われたようです。
それを聞いて「そんな意気込みでやってきた企業に私たちは勝てないなと思った」という展開を予想されるかもしれませんが、そうは思いませんでした。
設立4年目のスモールジムがグランプリホルダーに慣れた可能性はあったと思います。
私が単純に思ったことは「私は死ぬ気ではやっていない」ということです。
ちなみに・・私は2022年6月に愛犬が死去してから「死」という言葉を軽々しく口にすべきではないと考え、自らは実践しています。
「死ぬほど」とか「死んでもいい」とか。
「死ぬほど」って言いますが、死に値するほど大変なことなんて本当にあるのかなって。
「死んでもいい」なら、実際に死んでみたらいいんじゃないかなって。
愛する人の「死」ほど悲しく衰弱することはありません。
あんなに辛いことを簡単に口にすべきではない。
そう思いました。
もちろん、まわりの方々への強制ではありません。
使った人に対して感情が悪化するようなこともありません。
「私自身が使いたくない」ということです。
なので「死」というものと対比させるなら「人生をかけて追及したもの」にすべきだろうと思っています。
その意味でグランプリホルダーの経営者が「死ぬ気でやってきた」と言ったのは「本当にそうなんだろうな」と思いました。
それを聞いて私はどうする?
「人生をかけてやっている」
せめてそのくらいの覚悟は必要だと考え直した次第です。