「目に見えないもの」を認識し、「触れないもの」を気にかける時代
NHKの大河ドラマ「光る君へ」で平安時代について知ることはとても面白い。あの時代、どれだけ「目に見えないもの」や「触れないもの」に丁寧に向き合い、恐れたり、慈しんでいたことか。
科学的解明がない時代、出来事の原因や理由がわからないものは、全て「目に見えないもの」や「触れないもの」のおかげか仕業となる。
雨乞いならば祈祷したり、病気ならば呪詛や祟りをお祓いしたり、天気予報や医療技術がない分、「心」や「念」をその出来事に込めた。すごい熱量だったろう、と想像できる。
不思議なことに、今の時代、目に見えなくて、触れないけど、私たちの生活に重要なことがとっても多いことに気づく。そして、元々は科学的に開発されたものでも、それらの影響はどこまで、どの程度及ぶかわからないことも多い。
例えば、空間を行き交うものすごい数と種類の電波。携帯電波などは、協会に定められた人体に被害はないレベルになっているという。19世紀末に発明されたものの、地球を網羅するレベルになる今日の状態ではまだ100年も経っていない。本当の影響は、実は誰にもわからない。
目に見えなくて、触れないものには、どんなものがあるだろう?
今日は、ちょっと考えてみた。
社会的なもの:
時間
インターネット
電波、WiFi
AI
サイバー・アッタク、サイバー・テロ
SNS、ネットワーク
電子通貨
ウィルス(コロナなど)
太陽フレア
空気汚染
放射線
ストレス
・・・
□ 数値化、グラフ化、個人のポストなど可視化しているけど、そのもの自体は見えない。
人間の内側のこと:
直感
感情
思考
感覚
鬱、メランコリー
幸せ、ウェルビーイング
平和
心地よさ
不安
恐怖
自分の境界線
自分軸
・・・
□ 無限にあるのに、これまで適当にやり過ごしてきたエリア。風の時代は、これらの目に見えなくて、触れないものを認識し、丁寧に対応していくことが益々大事。
18世紀からの科学の発展と産業革命で、「見えないもの」や「触れないもの」には価値がなくなった。その時代が今終わろうとしている。この数ヶ月は、まさに終焉のタイミング。
「見えないもの」を見て、「触れないもの」を感じる力を養いたい。
追伸:平安時代は、季節を表す時、具体的な「桜の花」や「紅葉の葉っぱ」といったシンボルではなくて、その季節を感じさせる様々な色で表したのだそうだ。色はエネルギー。正に、見えなくて、触れないもの。でも、温かみや清々しさなどを感じることが出来るものだ。
Image: Lilac in Lund, Sweden by Kazumin