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先生なのに学校に行けなくなった私を、引き上げてくれたものたちとの出会い(第4話)

こんにちは。

言語化コーチの宮尾多希(かずき)です。


「いい人・できる人」でいることにしがみついて
ブレて疲れてを繰り返してきた私が、
自分だからこその思いや強みにたどり着き
「自分の人生」を取り戻していったストーリーを綴っています。


前回、第3話は、

育休から職場復帰し、
大変さをなんとかごまかして働いていたけれど、
プツンと糸が切れたように学校に行けなくなり、
病休に入ったところまでを書きました。


その続き、今日は第4話です。
病休中、私の心と頭の変化が著しかった数ヶ月のことを書きました。



生きづらさを抱えてるなんて思われたくなかった


まさか自分が病休になるとは。
うつ状態と言われるとは。

それを受け入れるまでも時間がかかり、
受け入れられないがために、ギリギリの精神状態でも
出勤していた日もありました。

優等生というほどではないけれど、
私はいつも「いい子」「いい人」でいるようにしていました。
無意識に…というか反応的にそうしてしまっていた感じ。


『いつも明るくにこやか、穏やかで優しい。』


そんな人でいたかった。

だから、生きているのがしんどいなんて
自分でも思いたくないし、人にも思われたくない。


なのに、絶対になりたくなかった自分になってしまいました。
まさに人生のどん底。

しかも、自分が選択した結果。
すべては自分のせい。


いなくなりたい
ここにいる必要がない


自分を責めるしかなかった。
自分の存在を消したかった。


でも、というか、
だからこそ、なのかもしれませんが、


「ここにいる必要性」
「ここにいる意味」


これを確かめたい気持ちがすごく強かったなとと思います。
自分の存在を正当化したかったんでしょうね。

休むのではなく、現状をどうにか変えたいと動いていました。



家と職場の往復で、視野が狭すぎた私

その時に読んだ本で覚えているのが、

●勝間和代さんの「会社に人生を預けるな」

これは、終身雇用制度に対する危機感を感じさせる書籍でした。
ていうか、終身雇用が当たり前じゃないの!?
私はそういう価値観しかもってなかったので、衝撃でしたし、
社会人になって初めて、新しい世界(というか本当の世界)を垣間見させてもらったようでした。


●五味太郎さんの「勉強しなければだいじょうぶ」

受動的に勉強しても意味がないっていうようなことが書かれていて、
学校でやっていることってどれだけ意味があるのか、
これまで言葉にしてこなかっただけで、私が感じてきた違和感と重なるものがありました。


これ以外にもたくさんの本を読むことで、
家と学校を行き来しているだけだと考えないし言葉にもしないようなこと、
だけど、生きていくのにめちゃくちゃ大事な問いを与えられました。



「これからの道筋」を見せてくれた言葉


そして、極めつけは、
幼児教育の講演会で聞いた言葉でした。
(これからどうしていきたいか迷って参加した講演会でした)


『20年、30年先の想像もつかない未来を生きる子どもたちのために
 私たちは教育をしている・・・』


雷に打たれたような衝撃でした。


本当にそうだ!その通りだ!!

なのに私は目の前のことに精一杯で、
教員としても、母親としても、未来につながることは何もできなかった。

これがわかっていたら、何ができただろう。
この意識をもっていたら、今はどうなっていただろう。


悔やんでも、過去は取り戻せませんが、
これからどうするか悩んでいた私に
一筋の光を差してくれたようにも感じました。


このままじゃいけない。自分も世の中も。

でも、こんな私に、一体何ができるんだろうか。


担任を持ちながら途中で行けなくなってしまった。
仕事を放棄してしまった。
我が子にもイライラをぶつけてしまう。
いい大人なのに人の目を気にし過ぎてしまう。


こんなどうしようもない私には、何もできる気がしない…。



まちがった自己評価をしていた


ちょうどそのとき、
教師専門のコンサルタントの方に話を聞いてもらっていました。

そして、悩んでいた私にこう言葉をかけてくれました。


「あなたは悪くない。正当な自己評価ができていないだけです。」


こんなどうしようもない私なんだから、
私が悪いんだ。それしか考えられない。

でも、それは正当な評価ではないということ?

正当な自己評価とは?
私は何ができる?
私には何がある?


コンサルタントの方に導いてもらいながら
正当な自己評価をするために、ワークシートに取り組みました。

自分の性質や自分の価値観を出していくものから、
これまでやってきたこと、がんばってきたこと、
その中での成功体験や失敗体験、
実績となるものも、実績でなくとも心を込めてきたもの、などなど

あらゆる自分を棚卸し、言語化していきました。


書き出してみると、
私のできることで先生方へ貢献していることもあったし、
子どもたちの変化や成長に寄与してきたことももちろんあった。

また、ダメだダメだと思い過ぎていた自分だったけど
長所もあったし熱い部分もあったんだということに
改めて気づき直すことができました。



本当の私に出会えた

やってみてわかりましたが、
自分を客観的に認識することができるものでした。

これまでは、
良い・悪いで自分を無意識にジャッジしていて、
その奥にある真実というか本質が見えていなかったんです。

「良い・悪い」ではなく「私という人間はこういう人」

そんなふうに、自分をフラットに眺めることができました。


人間はどうしても欠点に目がいく生き物です。
(より生き長らえるための戦略ですね)

自分の欠点や短所に目がいって、それを直さないといけない、
そこに意識を向けすぎて疲弊していたんだとわかってきました。

そして、自分で低い自己評価をして、勝手に苦しんでいたのです。


こうして、自分自身を書き出すことを通して、
「自分はダメだ」と自分に張り付けていたレッテルが
ハラハラと剥がれ落ち、

悪くないじゃん私
がんばってきたじゃん
よくできてるじゃん
なかなかやるじゃん

そう思えるようになりました。
正当に自己評価するって、こういうことだったんですね。


自分の欠点ばかりを見てしまっていた。
ただそれだけなんだと思いました。

ただそれだけなのに、知っているか、知らないかで、
こんなに自分のことが違って見える。
自分に向ける目が変わると、目の前に広がる世界もこんなに変わってくる。

ずっと生きづらかった。
生きづらかった理由がここにきてわかってきた。

そして、自分を正しく知ることで、
生きづらさから解放されていくということもわかってきました。



教師を続ける?それとも辞める?


そんなこんなで、
担任をもつ教員でありながら学校に行けなくなり、
人生のどん底に一度は落ちてしまったけれど、

世の中への見方も、自分自身への見方も、
大きく変わった休職期間となりました。


しかし、現実的な話、
今後どうしていくのか決断しなければなりません。

復帰するのか、それとも退職するのか。

正直、安定を手放すことは怖かったです。
新卒で教員となり、世の中のことを全然わかっていない私だったから。
この先何をどうしていくのかも決まっていなかった。

でも、

もっともっと広げていきたい。
世の中に対する知見も、自分自身の可能性も。

そうするためには、今退くしかない。


未来への希望を第一優先にして、退職を選択しました。



しかし、その後も、なかなか順調とはいきませんでした。

またしても迷走期に入るのです…


続きは第5話で。


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