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僕が「挑戦」する事によって皆さんに伝えたいこと。
昨日、BoysAward Auditionを受けてきました。
相変わらず、「挑戦」を続けております。私で御座います。
こう言う事をしていると、「馬鹿じゃねーのw」とか「現実見ろよw」とか色々言う人がいるかと思うのですが、一切無視です。
個人的に意見を述べさせて頂くのならば、「お前らが一番、現実を直視できてないじゃん。」です。
居酒屋で「人の悪口」をつまみにして酒を飲んだり、ネガティブな言葉を他者にぶつけて快感を得るような人間は大概、自分の人生に何か不満を感じている人です。
自分が直面している問題から逃げ、代わりに自分とは違う考え方の人間を否定することで「自分は正しい」と思い込むように自制がはたらいている。
こんな風に、日本人には「何かを否定しなければ自我を保てない体」に成長してしまった大人が多い印象があります。
これらは、社会や教育が作り出してしまった問題であり、責任は国にある。
原因は、時代に見合った教育を受けてこなかった事だ。
過去に自分が受けてきた教育と、現在の自分が持つ哲学が摩擦を起こし「ストレス」を生み出している。
教育の時代遅れっぷりが、「優しくない社会」を作り出している。
僕はそんな社会を否定し、「夢や目標に向かって頑張っている人たちが少しでも挑戦(行動)しやすい社会」を自分の活動を通じて作りたいと思った。
そのために、いま僕にできる事は、これからも何かに挑戦し、成功したり失敗したりする姿を皆さんに発信する(見せる)事だと思っています。
この時代に、「挑戦」を否定するのはミスマッチだ。
テクノロジーの発達により、沢山の仕事がAI(ロボット)に奪われていくだろう。
その前提で物事を考えていかなければならない。
そうなると、まず見直すべきは「教育」。
いつまでも「ロボットの劣化版」みたいな人間ばかり育ててどうするんだ!?
これからの時代に、僕らに求められるものは「人間らしい部分」だ。
「会社の上司」や「学校の先生」の奴隷に成り下がり、まるで機械のように言われた事をただこなすだけの人間は必要ない。
色んな事に挑戦し、成功したり失敗したりする事によって得られる「情報」を編集し「発信」する事によって、誰かの役に立てるような人間を育てるべきではないのだろうか…?
(↑)
こんな風に、いつまでも同じ「教育」を引きずっていては何も変わらないでしょう。(むしろ「社会」は悪化するでしょう。)
僕がいまやっているような活動が、未来の子供たちの「課外授業」となる事を願っています。