日本一手の綺麗な整備士
整備士は手が荒れている人が多い。
オイルまみれになり、ガサガサだったり。あかぎれがあったり
爪の間が黒くなっていたり。
でもそれは仕事をしている証。職人の手だ。
自動車メーカーホンダの創業者本田宗一郎が全国の販売店を訪問した時の話。
握手をしようとした整備士が手を引っ込め、仕事中の油で汚れていた手を洗いに行こうとした。本田宗一郎がそれを引き止めて、「その油まみれの手がいいんだ」と言って握手をした話
かの有名な「風の谷のナウシカ」の中で
「わしらの姫さまはこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい。」というセリフ。
そういう手を褒めてくれている人や作品は多い。そして、自分もそうだ。整備士になって荒れたり、あかぎれたりしてゴツゴツと固くなっていく手が自慢で誇らしかった。
先輩の手もそうだったし、本当にかっこよく思った。今でも思う。
それがある日、整備が終わった後お客様の車をテスト走行している時。信号待ちで止まった時にふと視線がハンドルと自分の手に向いた。
汚さないようにつけられたビニールのカバーかかったハンドルを握りしめる自分の手。
そしてテスト走行を終え戻ってきた時に、これまたカバーのかかったシフトノブを操作する自分の左手に再び視線が止まる。
作業が終わり、車に乗り込む前に手を洗っているので、そういった所が汚れる事は無いのだがその時思った。
カバーが掛かっているとは言え、自分がこの車をテスト走行する時は、
車を運転する時、お客様と同じ所を触っている。
「俺のこのゴツゴツした荒れた手で触るのなんか失礼やな」
車はお客様の大切なパートナーであり、生活には無くてはならない存在。
車自身も大切なお客様じゃないか。
こちらはもっと敬意を払うべきではないのか。
そしてこの時に思いついた。
「この手綺麗になるかな」
俺はその日の帰りにドラッグストアでハンドクリームを買って帰った。
今まで気にもとめたことの無い手の手入れ。自分なりに調べてネットの情報ながらケアを続けていくと、あかぎれや手のカサつきが落ち着いてくる。
するとそこでまた俺は余計な方向へ理論を発展させてしまう
「身の回りの整備士で手の綺麗な人って居ないよな」
もし俺と全く同じ整備技術を持った整備士が居たとする。そしてその人の手はガサガサゴツゴツ、俺の手はスベスベだとすると。
「俺の勝ちやん」
もはや意味不明である。この時の理論は今思い出して書いている自分でさえ意味がわからない。
でもこの時に俺は決めたのだ。
「日本一手の綺麗な整備士」になろうと。
そしてそれは今も続いている。
その後手が変わってくると大きなメリットが生まれた。
ひとつは汚れた手を洗った時の汚れの落ち方が良くなった。今まではいくら洗っても指紋の間に残ることがあったのにそれが無くなった。
もうひとつは自分が全く意図していなかったメリットで、それは指の感覚が凄く鋭くなった事だ。
小さな凹凸、部品のズレ、部品の組み付け部分の汚れ等、入り組んで見えない場所を手探りで作業をする場合も、指先の感覚がそれ迄と桁違いに良くなった。手の手入れをしようとした事は、結果自分のレベルアップに繋がったのだ。
お客さんと話をしている時に、俺の手を見て「整備してるのに手綺麗やね」と偶に言われる。そしてそう言われた時の俺のセリフはいつも決まっている。
「私が目指しているのは…」
まぁ一度もこのセリフがかっこよく決まったことはないんだけども。