父(東浩紀)を超えろー樋口恭介『構造素子』を読んでみた※ネタバレあり
名作『クォンタム・ファミリーズ』(東浩紀 新潮社 2009年)へのオマージュ?と噂の樋口恭介の『構造素子』(ハヤカワ文庫 2020年、ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作)。ずっと気になっていたのですがついに読みました。
やばい、さっぱりわからん。
でもなんかすごそうな感じがする。
主な世界は二つあり、そのうちの一つは実行環境と仮想環境に分かれているので、実質的に世界は三つあります。その複数の世界が入り組んで進むので、整理能力と記憶力がなければストーリーはぐちゃぐちゃになります。
はい。私はぐちゃぐちゃになりました。
しかも、登場人物の「あなた」の正体がわかるのは最終盤の448P、「わたし」の正体がわかるのは457P。正体が分かったとき、それまでの整合性はとれているのかと思い出したくても思い出せず。
でも、さっぱりわからないからこそ、私を拡張するためのヒントがある、そう思いもう一度読みました。今度は気合を入れて、ぐちゃぐちゃにならないよう年表を作りました。ようやく少しわかってきましたが、判然としないところもあります。この記事を書きながら考えたいと思います。
ということで、構造とあらすじと感想を書きます。
ここからはネタバレ含みます。
構造とあらすじ
階層構造
階層構造がぐちゃぐちゃしている感じを説明するのは難しいので、あえてストーリーがわかりやすいように書きます。ぐちゃぐちゃしている感じを味わいたい方はぜひ『構造素子』をお読みください。
また、固有名はさまざまな作品から引用されています。それに触れることもしないので、気になる方はお調べください。
プロローグの直前に以下の文章があります。
世界は異次元階層構造(座標)モデルで認識されます。物語に登場する主な階層はL8とL7で、L7には実行環境と仮想環境があります。上位階層から下位階層には介入可能ですが、その逆は不可です。L8が現実環境だとすると、そこで書かれた小説の世界(小説内容)はL7環境になります。
L8
一年前に父ダニエルが死亡。あなた=エドガーは、母ラブレスから父が遺した草稿『エドガー曰く、世界は』を受けとります。『エドガー曰く、世界は』の内容はL7環境に存在します。
主要登場人物の職業は以下のとおり。
ダニエルは売れない小説家から新聞記者に転身。
ラブレスはタイピスト。
エドガーはコンサルタント。
(ちなみに著者の樋口は作家でもあり、コンサルタントでもあります)
エドガーには会ったことがない兄がいました。兄は誕生後すぐに死亡したのでした。終盤に兄の名前もエドガーだったことが判明します。
L7
L8の『エドガー曰く、世界は』の世界。
地球から39光年離れた惑星Prefuse-73での出来事。
ダニエルとラブレスは結婚。ラブレスは妊娠するも流産。ダニエルとラブレスは人工意識エドガー001を作成。
ダニエルとラブレスは数学者で、人工意識を開発しました。
ダニエルとラブレスの世代は最後の人類でした。というのもテロにより、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシのネットワークがハックされ、二十万発の大量破壊兵器のスイッチが押され、人類は滅亡したのでした。
そんなPrefuse-73に地球から機械人21MM392ジェイムスンが探査にやってきます。そして生き残った?(人工意識だから生きているかは微妙)エドガー001と出会い情報交換をします。
エドガー001は自らの複製を無数につくったのでした。それらはエドガーシリーズと呼ばれ、二回目の人類と呼ばれました。そのうちの一体がエドガー083=ウィリアム・ウィルソン004です。ウィリアム・ウィルソン004はL7仮想環境の管理人です。実行環境に矛盾が生じないように、仮想環境で発覚した矛盾を削除するのが役目です。
ところがエドガー001に基づかないライジーア008が実行環境に現れます。本来であれば新しい複製は、まず仮想環境でテストされなければならないのですが、どういうわけか仮想環境を経由せず突然実行環境に生じてしまいます。ちなみにライジーアはエドガー・アラン・ポーが実際につくったキャラクターで死から蘇る女を表しています。つまり矛盾でありバグであり幽霊的存在です。
バグによって時間が逆行しはじめ、ライジーア008を含むエドガーシリーズが消えていきます。
再びL8
草稿の最後のメモは「エドガー曰く、世界は」。ダニエルは「あなた」=エドガーに続きを書くことを促していました。兄の非存在を存在に変えるために産まれたあなた(だからこそ兄と同じ名前がつけられた)は、非存在と存在の間の幽霊です。つまり、あなたは言葉なのです。(L8の『エドガー曰く、世界は』は物理的文書なので存在物、L7のそれはコンテンツなので非存在物。つまり言葉とは物理的に存在する文字と存在しない意味の間の幽霊。)未完の草稿にはまだ何も書かれていないので、全ての可能性が含まれています。希望も絶望も重なっています。ダニエルはあなたの可能性が生き延びる場所を用意していたのです。それが『エドガー曰く、世界は』。
L9
機械人21MM392ジェイムスンはPrefuse-73の報告書を書き終えました。
(つまりL8は物理世界ではなくL9の報告書の内容だった。このことが終盤に判明します。)
Devices
最後に「わたし」は異次元階層構造(座標)モデルであることが明かされます。
構造とあらすじは以上です。
うーん、これだけ読んでも何のことだがわからないような気が…。雰囲気だけでも伝われば良いのですが。しかし上手くまとめられないということは、私の理解がいまいちということなのでしょう。
以下に感想を書きながら理解を深めたいと思います。
感想
抽象度がすごくて、想像力がなかなか追いつきません。『クォンタム・ファミリーズ』へのオマージュであるらしいこと、参考文献にやはり東浩紀の『存在論的、郵便的』があげられていることをとっかかりにゆっくり考えてみたいと思います。
「あなた」=文字
プロローグの一行目。
「あなた」から物語ははじまります。「あなた」とは誰か、読者である私のこと?この疑問を携えつつ読み進めることになります。「あなた」とはL8のエドガーであることが早々に説明されます。しかしL8のエドガーとはいったい何者なのか。ダニエルにとって、ラブレスにとって、エドガーシリーズたちにとって。この問いが本書のテーマなのではないかと思います。
L8のエドガーは『エドガー曰く、世界は』のキャラクターであるライジーア008(矛盾でありバグであり幽霊)の言葉を読みます。
そして誰だかわからない人?(たぶん書き手)から断言されます。
また、「あなた」は想像します。
そして、誕生後すぐに死亡した兄の名前も実はエドガーだったことが明かされます。
なるほど一回目の人類は兄、二回目の人類は「あなた」のメタファーにもなっています。さらに兄のシミュレーションとしての「あなた」(つまりエドガーシリーズとも重なっている)、兄の亡霊に取り憑かれている「あなた」でもあります。
樋口は東の哲学を共有しようとしているのだと思います。
忘却されたものは「かもしれない」の記憶です。それは兄の記憶、つまりエドガーシリーズの記憶、言い換えると兄の可能世界の記憶のことだと思います。そして「かもしれない」は初めから到着しないというのはどういうことか、前回読んだチャンギージーが説明してくれます。前回の記事から引用します。
前回の記事↓
人間は「かもしれない」に取り憑かれています。「かもしれない」しか認知していません。ただし「かもしれない」がやってこなかったとき、言い換えると認知にエラーが生じたとき、そのときだけ、現実を認知できます。つまり「かもしれない」は決して現前することがありません。そして人間は単なる文字の配達員にすぎません。その配達物は到着しないということで到着します。
物語は以下の文章の直後からはじまったのでした。
人間の認知の全てはフィクション=falseです。ただしフィクション通りに現実がやってこなかったとき、その現実=trueを認知できます。全編を通じてこのことが追求されています。
ちなみに私は最初から最後まで「あなた」=エドガー=読者=私として読みました。
ライジーア=エラー
エドガー001に基づかないライジーア008。ここまでの検討でライジーア008の存在の意味はあきらかだと思います。エドガーシリーズ=falseに現実=true=エラー=幽霊=ライジーア008を発生させることによって、「あなた」は現実を知ることができます。
「わたし」=異次元階層構造(座標)モデル
では「わたし」はいったい誰なのか。最後から二番目の種明かしでL8世界を記述していたのはL9の機械人21MM392ジェイムスンであることが判明します。ということで、この時点では機械人21MM392ジェイムスンが「わたし」なのね、人間はかろうじてL9を読む読者としてだけ生き残るのかなあと思ったりします。しかし機械人21MM392ジェイムスンが「わたし」であるとは明言されません。もやもやしながら読み進めると、最後の種明かしでようやくはっきりします。
このような科白があり、座標・構造=「わたし」、構造素子=「あなた」が消滅します。しかし直後に
という文章があって完結します。ここまで読んで、この内容はまさに『エドガー曰く、世界は』の内容のことで、ここからは「あなた」=エドガー=読者=私が宇宙をつくることを促しているのだろうということがわかってきます。(たぶん)
そして座標・構造・モデル=「わたし」とは「あなた」のシミュレーションであり、「あなた」の規範であり、「あなた」の前提であり、「あなた」の父のことなのではないかと思います。(たぶん)
そういえば、物語は以下の文章からはじまったのでした。
これが意味しているのは、
「あなた」の前に「わたし」がいる。
エドガーの前に父がいる。
現実の前にシミュレーションがある。
trueの前にfalseがある。
構造素子の前に構造がある。
言葉の前に異次元階層構造(座標)モデルがある。
読者である私の前に超えるべき対象がある。
このようなことだと受け取りました。とても感動的な一行目です。
観測者=機械人21MM392ジェイムスン
さて、大きな謎として残っているのは、機械人21MM392ジェイムスンです。機械人21MM392ジェイムスンは最上位階層の存在ですが、この存在が機械なのはなぜなのか。かつては最上位階層には神が想定されていたのだと思いますが、ニーチェによると神は死んでしまっています。
有名な「シュレディンガーの猫」によると観測者がいなければ、相反する可能性が重なり合っているので、現実がどうなっているか決定できません。
現実が一つであるためには観測者が必要です。物語では観測者は機械です。機械は0と1の機械語を出力します。「あなた」という文字よりもより抽象度の高い数字という文字を。現代哲学者のカンタン・メイヤスーは、カントにアクセス不能といわれた物自体も、数学的言説で記述できるといいます。
メイヤスーにしたがうと、観測者であり、最上位階層の存在としては、数学的存在である機械人が妥当ということなのでしょう。
感想のまとめ
だんだんわかってきました。『クォンタム・ファミリーズ』のオマージュの意味が。『クォンタム・ファミリーズ』のテーマは確か「父として生きよ」、だったと思います。樋口は「父として生きよ」を子として読んだ上で、それを乗り越えようとしているのではないでしょうか。
樋口がこの本でいいたいのは、樋口自身も読者も
父(東浩紀)を超えろ
ということかもしれません。(ハードル、高っ!)
私たちの前に、モデル(東浩紀、『クォンタム・ファミリーズ』)はあるのです。
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