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【私の仕事】 忘備録(33)「24時間戦えますか」

◆この記事の内容:

24時間働いていることがカッコイイ時代があったことを書いています。


政府開発援助(ODA)のプロジェクト

防衛省の担当営業マンをしている頃、海外への製品を輸出する海外営業マン、海外出張もする。政府開発援助(ODA)のプロジェクト案件担当で主に霞が関の公官庁担当で営業活動、打ち合わせ、海外出張へ同行など、30代は一生のうちで最も忙しかったと思う。

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この時代は、僕だけではなく東京のサラリーマンは皆、同じくらい多忙であったと信じたい。

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政府開発援助(ODA)について

政府開発協力とは,「開発途上地域の開発を主たる目的とする政府及び政府関係機関による国際協力活動」のことで,そのための公的資金をODA(Official Development Assistance(政府開発援助))といいます。

政府または政府の実施機関はODAによって,平和構築やガバナンス,基本的人権の推進,人道支援等を含む開発途上国の「開発」のため,開発途上国または国際機関に対し,資金(贈与・貸付等)・技術提供を行います。

基本設計B/D(現地調査)

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仕事の兼任業務が増える

給料は変わらず、気がついたら「仕事が増えていた」「兼任になっていた」ということはないでしょうか?僕は若い頃、サラリーマン時代にこれが当たり前でした。様々な業種でそうだったのかもしれません。

「これができるのは君しかしないよ。期待してるよとおだてられて、引き受けるしかない状態になる。もちろん、サラリーマンなので「No」を言うことはできないんだけど。

今思うと、なんかだまされてたなぁ。。と感じます。忙しし過ぎて、振り返って考えることもしなかったのかもしれない。今の企業もそんな感じなのかな。

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サービス残業

営業の場合、サービス残業なんて、当たり前だし、今月は何時間働いた?なんて考えたこともなかった。数か月、給料明細も確認してなかったこともあった。確認する時間も忘れるくらい忙しかったのだと思う。

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ジュリアナ東京

忙しかったのは、男性会社員だけではない。同じ部署の女性社員なんて、当時、ジュリアナが流行っていたが、忙しくて行けないから、夜11時過ぎたら、机の上に乗って、会社の制服で踊ってた。

「女性社員が夜11時を過ぎて事務仕事をしている」って今じゃあり得ないことかもしれない。じゃ、なんでその女性たちは夜遅くまで会社に残って仕事をしていたかというと、全額残業代が給与に振り込まれるのである。残業をすればするだけ、その時間分、割増で給与に反映する。もちろん正社員だけである。

そんな状況だったから、残業をするために昼間、ダラダラと仕事をしていた人もいた。


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有楽町

竹橋の大きな総合商社の女性と付き合っていた同じ頃、夜10時頃に飲みによく誘われた。2時間くらい有楽町でビール飲んでしゃべってお互いストレスを発散した。夜12時近くなって「帰り、どうする?」と聞いたら、

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「24時間戦えますか?」

「メーカーの人はいいわよね。私は会社に戻る。カイロ支店にメールしないと。。」

「会社に泊まるの?」

「泊まる?。。タクシー券、もらってるわよ。」

そんな感じに、女性も一日中働いていた記憶がある。僕は東京で働いた期間が最も長いので、なにか感覚がずれているようだ。

当時、栄養ドリンクのCMで「24時間戦えますか?」がよく流れていた。24時間働いたら、それがかっこいいと思っていた。

バブル経済期の1988年に三共(現:第一三共)から発売されたドリンク剤「リゲイン」。1989年の第6回「新語・流行語大賞」(自由国民社)では、テレビCMなどで大々的に宣伝されたキャッチフレーズ「24時間戦えますか?」が銅賞を受賞。「Regain」(再び元気になる)というブランドコンセプト。

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今となれば、ブラック企業を助長するようなCMかもしれない?

ただ、仕事は時間ではない。その内容。どれだけ時間をかけず効率よく処理したか。ここが重要。

「リゲイン」の実際のところは、「これを飲めば24時間働くこと(戦うこと)ができますか?」と日本のビジネスマンが問いかけている。経営者側の言葉ではない。この当時は、仕事すればするほど給料に反映した。



薄毛

ストレスから30代は頭は剥げていた。40代に戻ったので、確実は30代がもっともストレスがひどかった証明だ。

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家内は今になって自慢話をする。当時、僕に対して「あたま」「はげる」「うすい」という言葉をできる限り使わないように懸命に努力したという。

決して家内には言わないが、「努力してくれる方向が違う」思う。そのときは、毎日、神経も身体もくたくたになって、ストレス満開で会社から帰ってくるので、「愚痴を聞いてほしかった」はずだ。。。と思う。

いや、そんな愚痴を言う気力もなかったのかもしれない。

それともし「剥げ」てもそんなことなんか気にしない。潔くスキンにして、いかつくしたい。その筋の人のように服も変える。要するに僕はセンスがない。中学からの友達で、その筋の組織に属している。彼は剥げてない頃から、わざわざ、頭部の毛と眉毛を抜いていた。

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ヴェルファイア

現在、この手の組織も高齢化だ。昔は黒塗りのベンツが主流だったが、現在はレクサスをはじめ、トヨタのミニバンの『アルファード』『ヴェルファイア』などが増えている。セダンより内部が広いバン系を好むのは、一般の高齢者と同じ理由かと思ったが、実はそうでもないらしい。

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いかにも組織の人といった感じのベンツであれば、必ずに警察に「職質」を受けるからだと言う。 


職質」といえば、日頃、警察からよく止められ、職質を受ける。詳細はこちらをご参照ください👇

読書の変態

「語学好きの変態」という記事を書いています👇が、

僕は「読書の変態」でもあります。TSUTAYAで「海峡に立つ(著者:許永中)」を見つけた。立ち読みしようかと思ったが、なぜかこの本は読めないようにカバーがしてあった。

1600円なので買っても良かったが、とりあえず図書館で借りてみようと予約を入れたら、104人待ちだった。

自分の順番が回ってくるのは半年後くらいかな?と、予約を入れておいた。あまりにも予約した人が多いことに驚いた。

また、

許永中氏の本を読もうなんて、僕のようにかなり変態な人も多いこと嬉しくなった。

そして、数か月過ぎて予約を入れていたことも、すっかり忘れていた。実際、1年後に図書館から「ご予約の本を確保してましたので図書館までお越しください」と連絡があり、本を取りに行った。

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許永中とは、在日韓国人の実業家。3000億円超す資金が暴力団関係者などに消えた戦後最大級のイトマン事件などを舞台に、経済事件に関与し「闇の紳士」「フィクサー」と呼ばれた。

海峡に立つ(著者:許永中)」を読んで、結論を先に言います。

期待不足でした。または、期待し過ぎたのかもしれません。もっと実話を書いているのかと思っていたが、そうでもなかった。それと、10年くらい前に許永中氏について書かれた本と同じ内容が多かった。

アマゾンのレビューで酷評されている人が多いが、自分もそれに近い。

ただ、この著者の本を読んで分かったことは、良いことも悪いことも自分がやるぞ!と決めたことは100%、とことんする人だということ。

あの時代はそういう時代背景だったのだと思う。


次回は、

【私の仕事】 忘備録(34)仕事は100%してはダメ。少し残すべき? へ つづく。。



*このnoteで書いてある記事はすべて実話です。「忘備録」として自分のために書いています。


◆ご注意:一部の記事はnoteのシステムによって18歳以上向けに分類されていますが、すべて18歳以上向けです。

よい子の皆さまは読まないでくださいね。