『「介護時間」の光景』(162)「氷川きよし」。6.29.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。
(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年6月29日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年6月29日」のことです。終盤に、今日、「2023年6月29日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)
2003年の頃
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。
ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。
それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。
2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。
毎日のように、メモをとっていました。
2003年6月29日
『午後4時20分頃に病院に着く。
花を新しく買って、雑誌も買っていく。
25日には、午後から鎌倉へ外出して、夜に帰ってきた。
そのときの疲れも、ないらしくて、安心する。
鎌倉に行ったことは覚えていてくれて、嬉しそうに話をしてくれて、よかった。
夕食は30分で終わる。
うなぎだった。
母との会話の中で、父の水虫のことが、また出ていた。
午後7時に病院を出る。
元気でよかった。
夏だな、もうすぐ夏だな、と思って、ふと数えたら、ここの病院に来てから四度目の夏だった。
ずっと通ってきただけだった。
そんなに時間が経っていた。
取り返しのつかない時間が経っていた。
でも、今日は、話をして、母は、笑っていた。
よかったと思えた。
ここに来なければ、やっぱり、それもなかったと思う。
なんで、最初。あの病院なんかに行ってしまったんだろう』。
氷川きよし
いつもの送迎バスに同じ時刻に乗った。夜の7時過ぎ。
あまり知らない同士のようだけれど、どちらも病院のスタッフのような会話が3列くらい後ろから聞こえてくる。若い男性に、中年女性が話しかけているのは、分かった。
「氷川きよし?」
「ちがいます。ちがいます」。
「似てるって、言われない?」
「初めてですね」。
バスを降りる時に、ちらっと見たら、半袖のTシャツを肩までまくった若くてやせている男性だった。メガネをかけていて、それだけではなく、どう見ても、たとえ短い時間でも、氷川きよしに似たところが見つけられなかった。
帰ってから、それを妻に話したら、それナンパじゃないの?と言われた。
(2003年6月29日)
この生活は続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年6月29日
今日は、かなり久しぶりに少し遠くまで、妻と一緒に昼ごろから、出かけた。
フォーマルな格好をすると暑いはずだけど、電車に10分以上乗っていると、冷房が効いてきて、体まで寒くなり、上着を着る。
妻は、用意したレッグウォーマーまで身につけていた。
電車の中から、遠くまで見渡せる風景が広がっている。
帰りには、窓の外に、「天使の階段」まで見えた。
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