『「介護時間」の光景』(150)「消防車」「事故」。3.29.
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年3月29日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年3月29日」のことです。終盤に、今日、「2023年3月29日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。
2002年の頃
とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に入院してもらいました。
私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。
自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。
この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。
そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半経って、病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の3月頃だったかもしれません。
そのころの記録です。
2002年3月29日
『病院主催の懇談会があった。
そこでは、作業療法士からリハビリのことについての説明があった。
生活機能訓練。
グループ訓練。
個人訓練。
レクリエーション。
さらに、SSTのこと。
そうしたことを、けっこう、丁寧に説明をしてくれて、1時間くらいたっていた。
そのあと、午後3時15分頃、病室へ着く。
「サッカーやってきたのよ」。
そんなことを母は言って、座って薬をつけている。
「久しぶりよね。いつだっけ?」
「え、ずっと、いたよ」
何か、また、かなりぼんやりしている。いろいろと忘れているみたいで、また少し変な方向へ進んでいるみたいで嫌な予感がわいてくる。
母と一緒に、歩いて、窓から、病院のさくらを見た。
そうしたら、ちょうど、ふわっと散った。
さくら吹雪。
「初めて、見た」と母は言った。
そのあと、母としゃべっていると、また、自分の妹、私にとっては、おばの話になった。
「生地を持っていくために、家に行きたいのよ。悪いけど……」。
まだ、言っているんだ。まだ、忘れていないんだ。
そんなことを思う。
午後4時30分に、母はトイレに行き、午後5時25分にまたトイレへ行く。
どうしてなのか、昔の小学校の校歌の話を何度もしていた。
同時に、昔の小学校のことも、いろいろと話した。
午後5時30分くらいから、たっぷり40分かけて、食事をした。
そのあと、すぐトイレへ行く。
なかなか、戻ってこないので、10分くらいで、声をかけに行って、無事を確認する。
午後7時に病院を出る。
「バナナがあるから、しばらく大丈夫」。
そんなことを言ってくれるが、少し無理しているような印象もある。
何か、ふわっとしているような感じもある。
雨が降っている。
そういえば、病院のスタッフの方々に「よくきますね」と、気がついたら、言われなくなった。病院に来る頻度は変わっていないけれど、言われなくなってから、どのくらいになるのだろう。
去年の夏には、言われていたのだろうか。
もうそんなに記憶にはない。
1年間は、言われるけれど、でも、たぶん、正月を2回迎えると、それが日常になって、言われなくなるんだろう、などと思う。
消防車
電車に乗って、外を見る。
線路際に、電車よりも高い位置に道路が走っている。
その土手みたいな場所に、菜の花が群れて咲いている場所がある。雨のせいか、その黄色がすごくキレイに見える。
そして、その上の道路に赤い消防車が走ってきた。あまり見かけないきっちりと長方形の形。車体のすみっこに、「特消」という文字。赤の下に黄色。
事故
いつものように午後8時近くに駅に着いた。
ホームにはドアを開けっ放しにした電車が止まっていた。
今日も「人身事故」があったようだ。いつ動くかまだ分からない。
車内では、ケータイへ向かって、あちこちから「ジンシンジコ」「ジンシンジコ」「ジンシンジコ」という言葉が、違う声で繰り返し聞こえてくる。
妙な言葉だし、普段はそんなに使う言葉でもないのに、でも、電話の向こうでも「ジンシンジコ」という言葉が出た瞬間に納得しているような気がした。不思議な専門用語。
(2002年3月29日)
この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年3月29日
今日は、晴れた。
洗濯物を干して、乾いているものを取り込んで、また洗濯ができる。
庭の柿の木には、新しい緑の葉っぱが、みるみるうちに増えてきている。
今年は、寒い間に、枝を切り落とす予定だったのに、いろいろな事情でその作業が遅れてしまっているから、その成長で、作業がうまくいかなくなるのではないか、とちょっと憂うつにもなる。
ついこの間まで、ほとんど枯れ木のように見えていたのに、と思い、この状態で、大幅に枝を切ると、今年は、柿の実がならないのではないか、最悪、枯れてしまわないだろうか、といった気持ちにもなる。
ただ、その作業は、まだ、もう少し後になりそうだ。
健康診断
区の方から、「健康診査」の封筒が来て、無料で健康診断が受けられる。
ただ、当たり前だけど、それには有効な期間があって、3月の末までで、いつも、いつの間にか時間が経って、ギリギリになってしまう。
いつも行っている病院が木曜日が休みなので、今日と、金曜日がラストチャンスで、最終日よりは、今日行こうと思って、昨日の夜中から、いつもは、スポーツドリンク的なものも飲んでしまうのだけど、とにかく水だけにしたのも、久しぶりだった。
もちろん、朝食も、何も食べないし、牛乳なども飲まず、水だけにして、時間が過ぎていると、気のせいかもしれないけれど、お腹がいつもよりもスッキリしていて、気持ちもちょっと軽い気がする。
そして、妻に買い物のメモを書いてもらって、自転車で出かける。
途中で、あちこちで桜を見かける。
今、読みかけの、ページ数の多い本を持って、その病院に入って、尿検査のためにトイレに入って、出てきたら、名前を呼ばれたので、本を読む時間はなかった。
そして、健康診断を受けた。
身長がまた縮んだ気もするが、心電図も、レントゲンも、すぐにわかることは異常がないと言われ、血液の検査なども含めて、結果は、数日後になると言われる。
ちょっとホッとした。
スーパーに寄って、メモを見ながら買い物をし、そこには書いていなかったけれど、グリーンカレー味と、ガパオライス味のスナックが並んでいて、ちょっと悩んで、両方買ったりもした。
帰ってきてから、食事をし、2回目の洗濯をして、干した。
天気がいいと、気持ちがいい。
専門用語
今日は、録画していたドラマを、何本か見た。
今の時期は、2回とか、4回とかの微妙な編成のドラマがあって、それは、誰かへのチャンスなのか、それとも、義務の消化なのか、などと思いながら、見ることになる。
今の資格を取得する前だったら、気にならなかったのだけど、こうしたドラマのタイトルには、勝手に微妙な緊張感がある。ドラマとしては面白かったが、不自由な視聴者だとは思うけれど、見終わったあとに「心理分析」していただろうか、みたいな気持ちになる。
次のドラマは、心療内科、ではなく、心霊内科なので、もっと純粋に楽しめたし、フィクションとはいえ、こうして明らかに「治療」が終わることができるのは、ちょっと、うらやましかった。
気がついたら、雨が降ってきていたので、あわてて、洗濯物を中に入れた。
(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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