家族介護者の支援について、改めて考える⑩これまで、よかったこと。恵まれていたこと。
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私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
家族介護者の支援について、改めて考える
この「家族介護者の支援について、改めて考える」は、家族介護者へ必要と思われる、個別で心理的な支援について、いろいろと書いてきました。
そして、その必要性を感じながらも、相談窓口が広がっていかないことに対して、無力感を覚えながらも、9回に渡って考えてきました。
ただ、なかなか変わらない状況はあるとしても、家族介護者の支援をしようと思ってから、10年以上がたちますが、ここまでの「よかったこと。恵まれていたこと」について、もう一度、きちんと触れないのは、返ってフェアではないと思い、今回、改めて振り返ってみようと思いました。
よかったこと。恵まれていたこと。
家族の介護をしながら、家族介護者にこそ、個別で心理的な支援が必要だと思うようになりました。そして、その支援ができる限り、広がった方がいいと考えるようにもなりました。
それでも、介護をしていた母親が亡くなった後、義母の介護をしながら、大学院に入学し、臨床心理士になろうと本気で思えたのは、母親が残してくれたお金があったからで、さらには、そうした資格を取ろうとすることに賛成してくれた妻がいたからでした。
その両方の要素が揃わなかったら、もともと、臨床心理士の資格を取ることもできませんでした。
さらには、介護のために、昼夜逆転の生活をしていたので、夕方からの講義が中心の大学院があったことと、そこに入学できたことは、ラッキーでした。さらに、大学院に入った時、大学の学部からそのまま上がってきた若い人や、もしくは、心理職として働きながら、さらに勉強をするような社会人が多く、その中で、私は、年齢だけはかなり高く、その上、ただ介護をしている無職の中年でしたから、最初は「浮いて」いたはずです。
それでも、特に同期の人たちをはじめとして、先輩や後輩や先生方にも、恵まれました。学校という場所が楽しいと思ったのは、初めてでした。通常2年間で修了なのですが、修士論文が完成できずに、3年になりました。それを妻が許してくれましたし、一年長く通ったおかげで、また、同じ仕事を目指す仲間が増えたのも、恵まれていたことだと思います。
就職活動
大学院を修了する前から、仕事を探しましたが、終了後も、全く見つかりませんでした。介護は続けていましたから、昼夜逆転の生活をしていて、そこに合うように、午後以降の非常勤の仕事に応募をしていましたが、ほとんど履歴書が送り返されるだけか、インターネット上の応募は、ただ、何の反応もないままでした。
今の就職活動は、大変と聞いていましたが、そして、それに比べたら、自分の場合は、大したことがないといっても、50社以上から「拒否」されたような感じになった時は、結構、暗くなっていました。
表向きは、年齢のことは触れていなくても、せめて、もう少し若ければ、と会いもしないで、電話口で言われた時は、どうすればいいのか、と思いました。確かに、心理職自体が、仕事を見つけるのが難しいとは聞いていましたが、ずっと無職で10年以上、介護だけをして、そのために年を重ねてきましたので、どうすればいいのか、分からない気持ちにもなりました。
そうして仕事が見つからないまま、1年以上が経っていました。
ボランティアと資格試験
それでも、大学院を修了した年に、ボランティアで、介護相談を始めることができました。
あるカフェのオーナーに、そうした活動をすることを許可してもらいました。そのオーナーも、ご家族の介護をされている方でした。全く何のツテもなく、そのカフェのブログを読み、直接、訪問し、お願いをして、許可をしてもらったのですから、それはありがたいことでした。
しかも、それから、年月がたち、私は、一人でボランティアを続け、9年目を迎えられるのも、利用してくださる方がいらっしゃるのも、考えたら、恵まれていることだと思います。
そして、臨床心理士の資格も取得することができました。
大学院を修了した年に、資格試験が行われました。筆記試験はなんとかパスしたものの、面接は、社会人で、しかも仕事をしていないままの人間は、かなり不利だと言われていて、私にもその自覚はあったのですが、なんとか合格できたのは、やはり幸運もあったと思います。同時に、それを生かさないといけない、という気持ちも、ずっとあります。
介護者相談の仕事
一年以上、まったく仕事が見つからない時間が続いたのですが、資格を取得した2014年の4月以降に、やっと仕事ができるようになりました。それは、2か所で、どちらも月に一度だけ、という仕事でしたが、そのうちの一つが、介護者相談でした。
自分が、家族介護者への個別な心理的支援をしたいと思って、臨床心理士になろうとしたのですから、その仕事を紹介してもらったのは、とても幸運でした。
それも、母親が入院していた病院で働いている臨床心理士の方に教えていただいた、さらに経験年数の長い臨床心理士の先生の方にお会いして、その方に、紹介してもらった仕事でした。(紹介という言葉ばかりが続き、すみません)。
それから、8年目を迎えていますが、介護者相談の仕事は、続けられています。職場のスタッフの方にも恵まれているのは、実感しています。
介護が終わる
紹介してもらった「介護者相談」の仕事も、ボランティアも続けられていたのですが、その一方で、「介護者相談」の窓口が増えていかないとに焦りや、無力感も募っていました。
自分の仕事も増えませんでしたが、義母の介護は続いていて、体力的には、それ以上増やせない、というジレンマもありました。
広く一般の方々に、介護のことを伝える講座のような場所も与えられることもあって、それはとてもありがたいことでした。一方で、家族介護者に対する社会からの見られ方は、何年たっても、変化が少なく感じていて、勝手に無力感も大きくなっていました。
そして、2018年の暮れに、義母が103歳で亡くなり、介護生活が突然終わりました。19年間で、20年には届きませんでしたが、やはり喪失感や、まだ介護が続いているような感覚も続き、体調を立て直すにも1年以上かかりました。ただ、義母が亡くなる前に受験した公認心理師の試験には合格することができました。
それでも、ぎりぎりでも、貯金を崩しながらとはいえ、なんとか生活ができたのは、恵まれていると思います。
「note」を始める
介護相談の仕事は続けていましたが、介護が終わったのに、それ以上、何もしていない気持ちもありました。
携帯も持たない生活でしたが、パソコンは所有していて、SNSがあるのだから、そこで、少しでも介護のことを伝えられるかもしれないと思い、noteを始めたのが2020年の3月でした。コロナ禍という言葉が定着し始める頃でした。
地味な話題でしたし、明るくないテーマでしたから、それほど読まれないのでは、と思っていましたが、確実に読んでくださる方々が存在し、「スキ」をしてくれることも少なくありませんでした。
私自身は、大勢の方をフォローをすると、全部は読めなくて申し訳ないので、読める範囲しかフォローができないのですが、それでも、フォローをしてくれる方もいました。また私の記事を、マガジンに加えてくださる方もいました。
やはり、ありがたく、嬉しい気持ちになりました。
さらに、わざわざコメントをしてもらえる方は今でも存在し、そして、「こうしたことに関して記事を書いてほしい」と、リクエストをしてくれる方もいました。
そして、読者の方のおかげで、「note介護相談」を始めることもできました。
さらに、少し前のことですが、現役の家族介護者の方で、現在進行形のご自身の介護生活のことを、細やかに伝えてくださっているフォロワーの方が、わざわざ、私のことを、記事にしてもらったこともありました。
もちろん、お会いしたこともないのですが、こうして記事にしてもらったことは、素直にうれしかったです。ただ、ここに書かれている自分自身が、とても実像が追いついていないので、恥ずかしい思いもありました。それでも、少なくとも、そう見てもらっているので、この書かれている姿に、少しでも近づけようという励みにもなりました。とても、ありがたく思っています。
こうして、振り返ると、「よかったことや、恵まれていること」は、自分の印象より、多いように思いました。家族介護者の支援が広がらないことに関して、焦りや無力感はあるとしても、それは、その思いが強すぎ、どこか欲が深い部分もあるのかもしれません。
これだけの「よかったこと。恵まれていること」があるので、そう考えたら、まずは、よりよい「note」の記事を、書き続けようと思いました。
なんだか、きれいごとに感じるかもしれませんが、今後も、よろしくお願いいたします。
(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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