『「介護時間」の光景』(82)「スリット」。11.9.
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。
今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、20年前の2001年11月9日の話です。(後半に、2021年11月9日のことを書いています)。
1999年から母親の介護を始めて、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、母親に療養のための病院に入ってもらいました。その転院から1年がたった頃です。
2001年の頃
毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする毎日でした。ただ、それだけを続けていました。
自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていたのが2001年の頃でした。
2000年の入院当初は、それ以前の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。
そういう気持ちは、それほど変わらず、1年経った頃も、まだ、うつむき加減で通い続けていました。周囲は、あまり見えていませんでした。
2001年11月9日
『夢を見た。
妙なアパートに住んでいる。
古い鉄筋で、周りが木ばっかり。
その木にメモがはさんである。
心臓の薬というか治療費で未払い分があります。
請求書と一緒に洗濯バサミで止めてある。
病院に行く。
手土産を買おうとして、小さな路地のところに、とても古い店の向こうに、新しくてカッコいいコーヒー屋がある。
みんなで飲めるような、コーヒーの粉を買おうとして、店に入る。
「すみません」
挽き方は?と聞かれる。
「えーと、ペーパーでも、ドリップでも使えるような、中間の…」。
「うちには、中間の、というのは、ありません」
「それでは、じゃあ、どちらでも使えるものを」
「わかりました」
しばらく経って、出来上がったのは、氷砂糖の10倍くらいの5センチ角くらいの茶色かったり、微妙な色がついている、ダイヤモンドのようなカットが入っているコーヒーの粉(?)が、10キロの米袋のようなものに入っている。
「これ、違いますよね」
「そうです、すみません」。
その店員は、太った編集者にも、厳しさを勘違いしている看護師にも見える。
「もう一回、挽き直してください」。
そこで目が覚めた。
もう一度寝たら、午後1時を過ぎていた』。
病院
『病院へ行く途中に、靴下とスリッパとみかんを買った。
その後に、ロッテリアでチキンセットを食べた。
それから、ホットカフェラテとチョコを買っていく。
午後4時30分頃、病院に着くと、「あら、寒いのに」と、母に変に歓迎される。
まだあったかいホットカフェラテと、チョコを見せると、「ちょうど食べたい、と思っていたのよ」と笑って、そして、食べて、飲んでいた。
よかった。
くつ下は、寒くなるのでウールにしたら、喜んでもらえた。
スリッパも、新しいもので、喜んでもらえた。
午後5時頃、テレビで菊の花のことを伝えている。
急に親せきの話になり、今は亡くなった人のことを話し出した。
「ご飯食べたばっかりで、ご飯、って言って。少しボケたらしいわよ」
そう言って笑っているのだけど、何を言っていいのか、分からない。
食事がきて、いつも見ていた同じ棟の患者さんの姿が見えないので、そのことを母に聞いたら、3階に行ったらしい。
そして、人間の声というよりは、ネコの声に近いような響きで「うあー」という叫びが時々響く。新しい人が入院したようだった。すごい声だった。
痛いとか、暑いとか、言えないらしい、ということを母から聞く。
食事は30分で終わり、すぐトイレへ行く。
同じ病棟にいて、いつも静かな男性で、おしょうさんと言われている人が、この前、10分くらいお経を唱えたらしい。
「お経、初めて聞いたわ」。
最近、元気なようだ。
そういえば、昨日は、病院の中での運動会だった。今日の朝、部屋まで看護婦長さんが来てくれたそうだ。
「昨日は、宣誓おつかれさまでした、と言いに来たのよ」。
そう言って、嬉しそうだった。
少しずつわずかに人の移動がある。
すごい声の人は、女性だった。2階や、3階でも、持て余してしまっているらしい、ということまで母に聞いた。
その強い声に刺激されたのか、普段はあまり聞こえてこないような声が、病棟の遠くから響いてくる。
午後7時頃、病院を出る。
雨は、ずっと降っている。
午前中は、病院の中で、健診やエコーのために、母は、フリースの上着や、シューズも履いていったそうだ。
そういえば、病院の運動会の話をする時、「生まれて初めて一等賞とったわ」と母は笑っていた。ずっと運動が苦手だと、昔は話していたから、本当なのだと思う』。
スリット
雨が降って夜だと、やっぱりいつもよりも暗い。というより電車の外の景色は黒い感じがする。
線路ぎわに街灯があって、その光が少し細長いせいか、電車が走っていると、突然、ぽつぽつと切り口みたいに光があらわれるように思える。
黒いところに、突然、光のスリットが出現する。その繰り返し。
雨のせいか、光がいつもより閉じ込められているように見えるせいかもしれない。
(2001年11月9日)
この生活が、2007年5月まで続いた。母は病院で亡くなった。それから、義母の在宅介護を妻と一緒に続けながら、勉強を始め、大学院に入学し、修了し、臨床心理士の資格を取得した。
介護者の個別の心理的支援のための介護相談も始めることができたが、2018年には、義母も突然亡くなり、介護も急に終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得できた。介護が終わってから、3年が経とうとしているが、コロナ禍はまだ続いている。
2021年11月9日
家のチャイムがなって、目が覚めていたのだけど、起きることにした。
自分にとっては、思い切って注文したマンガが、宅配便で届いたらしい。
マンガ
この前、読んだ作品↑が凄かった。マンガは場所はとるし、うちは貧乏だし、という制限はあるものの、やっぱり、時々は新しい作品も読まないと、ダメなのではないかと、思い、うー読みたい、と強く思うものに関しては、買うことにした↓。
起きたら、曇っている。今日は雨が降るはずだったのに、という話をしたら、妻は、さっきは、少し止んだんだよ、というのだけど、その後、少し経ったら、また雨が降ってくる音がする。
ごみ収集
外で、ゴミ収集車が来る音が聞こえる。
そのことを、妻に伝えたら、今月は、ゴミ当番でもないのだけど、誰かがゴミのネットを一人でたたんでいるのかもしれない、ということが心配になったようで、妻がカッパを着て、出かけて行った。雨が降っていたので、あまり意味はないかもしれないけれど、私はサンダルをあわてて履いて、カサをさしかけて、そばにいた。
少し遠くを見たら、桜の葉っぱが赤くなって落ちて、道路に散っている。雨によって、道路に張りついているようだった。
テフロン加工
午後、作業をしていたら、妻が、階段を登ってきて、ちょっとシリアスな表情で、話しかけてきた。
ラジオ聞いた?
聞いてないけど。
どうやら、TBSラジオの「たまむすび」内で、テフロン加工のことが話題になっている映画が紹介されていたようだった。
どうやら町山智浩氏の「アメリカ流れ者」のコーナーでの話のようだ。
テフロン加工を扱っている工場が、周辺に流した廃液などで、健康被害があり、そのことと争った人のアメリカ映画のようだけど、そのことを聞いて、妻は、今も家で使っているテフロン加工のフライパンについて、疑問が強くなったみたいだった。
これだけ、便利だけど、そういうものには、よくないこともあるのかも。
けっこう、不安そうだったので、このことが、現在の状況で、どこまで有害か分からないけれど、いったん知ってしまうと、おそらく不安は消えそうもないので、妻と相談をして、また鉄のフライパンに戻すことにした。
あとは、妻の負担が、なるべく減るように、フライパンも、できたら、軽いものにしようということになった。
家にいても、いろいろな変化はある。
感謝
午後3時過ぎになり、ほぼ雨が止んだこともあり、買い物に出かける。
いろいろと買って、最後にコンビニに寄って、スイーツの新製品を買った。それは、この前、台所の流しなどを、ご近所の人に直してもらい、そのあと、妻がペンキを塗ってくれたので、そのお礼のつもりだった。
とてもささやかな感謝の形だけど、自分の財布から出す。
おいしかった。
妻も、喜んでくれた。
よかった。
午後5時前には、かなり暗くなってきた。
(他にも、介護に関して、いろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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