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『「介護時間」の光景』(92)「夢」「お年寄り」。1.19.
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
元々は、家族介護者でした。その時間の中で、家族介護者への個別な心理的支援こそが必要と感じ、分不相応かもしれませんが、自分でもその支援に関わりたいと思い、介護中から勉強を始め、臨床心理士の資格を取得しました。その後、公認心理師も資格も取りました。
そして、臨床心理士になってから始めることができた、介護者相談は、ありがたいことに、今も継続できています。
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。
今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、20年前の2002年1月19日の話です。(終盤に、2022年1月19日のことを書いています)
2002年の頃
1999年から母親の介護を始めて、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に入院してもらいました。その転院から1年半がたった頃です。
毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。
自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていたのが2002年の頃でした。
この病院に来る前、医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。そういう気持ちは、1年半経った頃も、まだ、うつむき加減で、母のいる病院に通い続けていました。周囲は、あまり見えていませんでしたが、少しずつ病院を信頼するようになっていたのかもしれません。
ただ、この頃、病棟の看護婦長から、母の入院に関して、減額措置が使えるかもしれない、という話を聞いていました。
ありがたい事実でした。
2002年1月19日
『遅れ気味で出発する。
歯が臭い。それは、歯医者によれば、中が腐っている、といったことを言われ、そういえば、前歯が差し歯だったことも、改めて思い出した。
冬の寒さのために、綿毛布。それから、フリージアと、バナナを買って、午後5時頃、病院に着く。
入院して、1年半以上が経ち、やっとここの病院を少し信頼できるようになってきたのかもしれない、と思ってきた頃に、減額措置が使えることを知った。そして、弟とも相談をして、このくらいで、という値段を決めた。
それが認められれば、これまでと比べたら、とても金銭的には違うので、気持ちも軽くなると思うが、決定するまでは、まだ気は抜けない。
母は、布団の中で横になっていた。
買っていった綿毛布は、喜んでくれた。
今日は、さっき、病院で友達のようになった患者さん二人と外出したそうだ。
「そんなに寒くなかったわ。冬だから、こんなもんだし」と話をしていた。落ち着いている。
チョコレートは、もう食べられない、という話題の後に、持っていった花も喜んでくれたけれど、少し話をしていると、少し元気がないように見える。
ちょっと気になる。
さっき、野球の名球会のゴルフのことをテレビで見たようで、往年の名選手が出ていたから、母も知っていて、そのことを嬉しそうに話をしている。
少し大きめのノートにしたメモに「UFJ銀行(三和)」と書いてある。ちゃんと日付とともに書いてあって、銀行への興味は、母親自身も勤めていたこともあり、興味が強いのかもしれない。
日記みたいな新しいノートにさっそく書いてくれたので、それは、少しうれしい。
夕食30分。少し早い。
すぐトイレへ。トイレットペーパーがない、といっていたので、スタッフにもらってきたら、すでに補充されていたようで、それに関して、「ダブって大丈夫よね」としばらく、繰り返していた。その度に、「大丈夫だよ」と答え続ける。
メモには、他にも、書いてある。
北海道 鶴 698羽。
2月のカレンダー作り
外に出た4時。
違う要素が並んでいる。
最近は、テレビを見ているようで、朝の番組の話をしていて、それは、積極的でよかった、と思えたし、夜になって、夕食後に、ミュージックフェアを見ていたら、「さとうきび畑」で、ざわわ、と歌っていた。母親の好きな曲だったから、「本物見れて、よかった」と話をして、少し笑っていた。よかった。
午後6時45分に、またトイレへ。
今日は、歯医者へ行って、臭いと言われた自分の歯ぐきは、気をつけようと、思う。
午後7時に病院を出る』。
夢
病院を出て、歩いて、近くの病院に着き、たぶん初めて送迎バスに一番乗りをした。他に誰もいないバスに乗り込んだ。運転手さんも、降りている。それからすぐに他の人達も次々に乗ってきた。
そして少したったら、出発する。
すぐにうつらうつらした。
今、バスが走っている場所より、5分くらい先の風景を何度か夢に見て、目がさめて、を繰り返していた。今、どこなのか?一瞬、ホントに分からなくなる時もあった。
お年寄り
午後8時40分頃に自宅の最寄りの駅まで続く私鉄に乗る。
いつも同じ電車だけど、あまり同じ人は見かけない。3両編成で、同じところに乗らないせいか。
シルバーシートに、1人の高齢者が何の違和感もなく座っている。そこに、もう一人の高齢者がやってきて、言葉をかける。知り合いのようだ。
「…先生、お年寄りですか。
じゃあ、わたしも、おつきあいして…」。
そう言って、その隣へ座った。
「…あんまり大きい声で言うなよ。
70くらいじゃ、年寄りと言えないよ」。
一人が紺とグレーの服装。もう一人が黒と白で、少し赤っぽいネクタイ。2人ともメガネをかけて、パッと見たら区別をつけるのは難しい。自分も、元気だったら、こうやって、いつまでも歳よりは若いつもりで歳をとっていくのか…などと思った。
(2002年1月19日)
この生活は続いた。2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2022年1月19日
最近、腰が痛かった。
内臓が病気だったらどうしようと思いながらも、なんだか、おっくうで、だけど、微妙に痛みが続くので、少し筋トレを休んでみた。
その時に、腰を回したり、体を動かしたりすると、やたらと、腰、特に右の腰の下部が痛いというよりは、とても張っていて、硬くなっているのが分かった。こんなに体の柔軟性を失っているのに気がついた。
だから、1日、完全に筋トレを休んだ。何ヶ月かぶりだった。
筋トレ
介護を始めた時に、腰が痛くなって、だから、整形外科に行った時に、腹筋を鍛えることも勧められて、それから、いろいろな部位の筋トレをするようになって、その時々で、新しいトレーニングを見かけると、勝手に取り入れるようになった。
介護が終わった後も、その習慣が続いたのは、介護生活が19年間だったから、そのぶん、人よりも健康で長生きをして、なんとかしたい、という気持ちがあったせいだった。
ここ何ヶ月かは、「シュガー&シュガー」という音楽番組の中で見かけた、短い時間だけど、筋肉に効くトレーニングをしてきて、そのわりには、ストレッチングなどの体を柔らかくするようなことをしていなかったことに気がついた。
筋トレを調整しながら、ストレッチや、体を大きく動かす体操のようなものをしていると、腰が痛い。固まっているのを、焦らず少しずつ伸ばしていくのと、やっぱり、無理をすると、体が鍛えられるのではなく、故障してしまうことに、もっと気をつけないとダメなのだろうと思った。
薄曇り
起きたら、妻はいなかった。
久しぶりに、ご近所の方と、お茶を飲んで、話をする日だった。
布団の中には、湯たんぽが3つあった。夫婦で寒がりなので、湯たんぽを2つ入れているが、朝は早く起きる妻が、自分の使っていた湯たんぽの1つの中味を熱いお湯に換えて、私の布団に入れてくれていた。
起きて、その3つの湯たんぽを持って、1階に降りて、洗濯をしようと思ったのだけど、洗濯物が少なくて、やめた。
庭には、木材の柱が立ててあって、その上に皿があり、そこに載せられている球体がある。
そこから、植物が生えているけれど、最初は、そこにはなかったような気がした。
昼前には、楽しかったー、と妻が笑顔で帰ってきた。
妻に聞いたら、この球体は苔玉で、そこに多肉植物を植えて、それで、根付いたようだった。だけど、今見ると、うなだれているように見えるので、枯れてるの?と聞いたら、そんなことはない。と返ってきた。
「確かに元気はないけれど、こんなに寒いのに頑張っているんだから」。
オミクロン株
年末に、もしかしたら終息するのでは、という声まで聞いたのに、海外の状況と同様に、やはり、年明けから急速に、コロナの新規感染者が増大した。
東京都内は、7000人を超えた。
このあと、また外出を自粛するような萎縮する生活が続くのかと思うと、さらに先のことが見えなくなるし、どうすればいいのか、といった気持ちになる。
今は、コロナ、というよりも、オミクロンという呼び方の方が多くなってきたような印象もあるし、感染しても軽症、という情報も出ているので、ただ自粛するだけでいいのか、とか、それでも、家族はぜんそくを持っているので、油断はできないのではないか。そう迷いながらも、まずは、今までと同様の生活が続くと思う。
相談業務も、もしかしたら、支障が出てくるかもしれないし、こんな状況で仕事を増やすのも、難しそうで、介護が終わって3年が経っているのに、こんな感じでいいのだろうか、と気持ちが重くなる。
(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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