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『「介護時間」の光景』(167)「花火」。8.2.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年8月2日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景


 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年8月2日」のことです。終盤に、今日、「2023年8月2日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 毎日のように、メモをとっていました。

2003年8月2日。

『午後4時25分頃、病院に着く。

 シュークリームを買っていったら、母は喜んでくれた。

 それまで、布団をかぶって、横になっていた。

「ピッチャーゲーム、優勝したのよ」
 母は、嬉しそうに話してくれた。

 レクリエーションの一つとして何かボールのようなものを投げるゲームをやっていたみたいだけど、それがうまくいったようだった。

「投げることが上手くなっているんだわ」という話をしていたが、それは、毎日のように自分の病室の中で、ペットボトルを並べてテニスボールを転がして倒す、といったゲームをしていて、そのことについての話だった。

 母の部屋のカレンダー。8月3日に赤く丸がしてあって、帰るつもり。退院。と文字が書き込んであった。

 和尚さんと呼ばれている患者さんが、修行中のお孫さんがお見舞いに来てくれて、それで、すごく帰りたがったそうだ。

 それと関係しているのかもしれない。

 今日は、花火のようなので、いつもよりも遅くまでいることにした。

 午後7時30分。病院のスタッフが、花火上がりました、と教えてくれて、エレベーターに乗って、屋上に向かった。
 海岸の方の花火らしい。

 近くの花火大会と同じくらい、大きく見える。

 あがるたびに、「お」「お」と、母は声をあげ、空にひらくと「すごい、すごい」「きれい」と言って、喜んでいる。

 よかった。

 少し時間が経つと、車イスに乗った患者さんが屋上に2人やってきて、さらに、何人もきて、屋上がにぎやかになった。あれは、河口湖か、といった、多少かみ合わない会話もあったけれど、なんだか楽しかった。

 途中で、寒いから帰る人もいたけれど、久しぶりに会う患者さんもいて、話もできて、10人以上の患者さんと一緒に花火を見られた。今年初めての花火だった。

 母は、最後まで見る、というので、でも、なかなか終わらない。帰りの時間を気にしてしまうのが、自分で情けないが、いろいろな色やパターンが、花火としてすごく増えているように思った。

 午後8時40分頃、全部終わった。

 屋上でも、少し拍手が起こった。こんなにしっかり見られると思ってなかった。

 病院で母と友人になった患者さんが、私に「遅くなっちゃうわね」と心配してくれる。

 ありがたかった』。

花火

 母と屋上で花火を一緒に見て遅くなり、表の自動ドアは閉まってしまったので、初めて病院の裏口から出る。

 暗い道を歩いていると、盆踊りの声が時々、聞こえてくる。久しぶりに夜のバスターミナルに来る。

 セミがまだ鳴いている。誰もいない。もう4度目の夏になった。

 バスに乗ると最初は誰もいない。1人乗ってきただけで意外に思う。それから、あっという間に乗ってくる人が増えて車内も人が増えてくる。

 夜9時過ぎなのに、もっと夜中には思える。
 人がいても、静かな車内。

 駅に着いたら、海岸の花火大会の帰りの人達で、ものすごくいっぱいになっていた。こんな人数、この駅では初めて見た。

                     (2003年8月2日)


 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。

2023年8月2日

 つい先日、雷が鳴った。

 ずっと天気が良かったので、もしかしたら花火かも、などと思ってしまった。

 夜中に久しぶりに稲光で周囲が明るくなり、音がして、雷鳴がとどろいた、という表現が正確なのだと知った。

洗濯機

 その後、雨が降りがちになって、だから、ほぼ外にある洗濯機には、カバーをかける。

 その途中で、洗濯機と水道をつなぐ部分が折れて、壊れてしまった。

 ショックだった。

 この暑いのに、洗濯ができなくなる。

 近所の電気屋さんに電話をして、購入してから10年以上が経っていることを改めて知って、少し驚いて、その上で修理をお願いした。

 そうしたら今日、どの部分が壊れているのかを確かめにきてもらって、その上で、明日かあさってに部品が入ると言ってもらった。

 それを聞いて、昨日は洗濯ができたから、洗濯物がたまるのは不安だけど、とりあえず、今日は洗濯をするのをやめた。

 明日、修理できるかわからないけれど、直ったら洗濯を普通にして、無理だったら、久しぶりに近所のコインランドリーに行こうと、思った。

病院

 午前中に手帳を見ていた妻が、今日、病院の日だと気がついた。

 ちょっとバタバタしたけれど、出かけていった。

 介護中にぜんそくになってしまってから、それから病院に行くようになり、それもあって、コロナ禍になってからは、より感染には気をつけるようになった。

 それは、今でも変わらない。 

 まだ、コロナ禍は終わっていなくて、これから夏になると感染拡大するのは、ほぼ確実だと思う。

 感染予防が大幅にゆるんでいる現在だと、より感染は拡大しそうだけど、コロナ感染に関して医療体制が整った、というニュースも聞かないのに、ワクチンが有料になるかも、というニュースだけが聞こえてきて、今から少し怯えている。

帰宅

 いつもよりも早く、妻は帰ってきた。

 いろいろと空いていたから、ということだった。

 ずっと喘息のために病院に通ってきたのだけど、何度も担当の医師がかわって、今の医師は、妻の疑問や不安に応えてくれるようで、今回も、薬を新しく処方してくれた上で、効かない場合は、やめても大丈夫です、という言葉とともになので、安心ができる、と妻は言っていた。

 そうした医療関係者の話を聞くと、ありがたいと感じつつも、そういうことが基準になってくれれば、とも思う。




(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。