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地方在住44歳男性の就職難:学ぶ意欲があれば、年齢は関係ない

昨年の10月末以降、心と身体に良くない出来事が続き、12月にはどん底に。それまで習慣でやっていたことを忘れてしまう始末で、思い出してもやろうとせず、無気力になってしまう自分に不甲斐なさを感じ、這い上がるきっかけがつかめないまま時間だけが流れました。

昨年7月末から勤務した会社は、70年以上の歴史を持つ印刷会社で、ここ数年で加速しているペーパーレスの社会的な潮流の影響を受け、印刷製品の受注が減少傾向に進んでいました。歴史がある分、多くの既存の取引先を抱えていたこともあり、「取引先の課題解決も一緒にできないか」と考え、外部からマーケティングのプロをヘッドハンティングしマーケティング部門を新設します。

マーケティング部門が少しずつ成果を出し始めた頃、社長の娘さんが役員待遇で入社し営業統括部長となり、“感性”を軸にしたマーケティング部門を立ち上げます。既にヘッドハンティングで来られた方が長となるマーケティング部門もあったため、マーケティング部門を統合することになり、社内での人事異動と共に採用活動も積極的に行い、そこに私が入社します。

入社直後から、大歓迎の待遇で、ほぼ毎日のように昼食をごちそうしていただき、私の言動や作る資料も評価していただいて、ちょっとした違和感を感じていました。
私が勤務していたフロアは、6階建ての自社ビルの5階にありましたが、出勤しても掃除をしている様子がなく(これも違和感の一つ)、私の部下にあたる社長のお孫さんに聞くと「気が向いたらやる」とのことで不定期で掃除をしていたようでした。私が掃除当番表を作りみんなで掃除をすることをお願いし、8月、9月と当番表に記載されている方々も掃除をしてくださっていましたが、10月中旬以降、掃除をする人が限られるようになります。
当番表に明記されていても掃除をせず、出勤も始業時間ギリギリ。役員の方も部門長の方も一般社員も、同じような状況で、違和感が募ります。

掃除をしない方々が出始めた10月中旬ころから、さらなる違和感が。
私が入社した1か月後に入社してきた仲間と、一緒に退勤しては、会社についてのあれやこれやを話し、意見交換をしていました。10月中旬頃、この仲間が担当した案件が獲得できたことで、忙しくなり始め、一緒に退勤できなくなります。このころから、社長の孫とこの仲間が一緒に退勤するようになり、徐々に私との距離ができ始めます。

そうこうしているうちに11月になり、今度は、私の上司となる社長の娘さんからそれまでになかった圧がかかり始めます。
各案件の進捗やTODOをホワイトボードに記載して、随時更新していましたが、唐突に「進捗報告がない」と言われ、報告すると、「その報告の仕方は仕事ができない人の報告の仕方だ」と言われる始末。
私の上長が終日外出したある日には、「席を離れている時間が長いのが気になる」と連絡がありました。上長が終日外出しているにも関わらず、です。当日だけではく、トイレに行く、昼食を購入する以外に席を離れていなかったので、何をどうしたらいいものか…と、心底、悩みました。

11月下旬頃から、気持ちが落ち着かずにザワザワする状況が始まり、メモを取る際に手が震えてメモが取れない、上長の前で話すと脚が震える、自分の取柄でもある元気な声が出せずにボソボソと話すことが無意識に起こり始めます。仲良くしてくれていた仲間からは、「鬱になる直前の状況だから危ないよ」と気にかけてくれたり、「私が同じように追い込まれていたら、心が折れます」と言ってくれたり、私を見てくれている仲間がいてくれたことで、耐えられていたのかな、と思います。

12月上旬に上長との面談予定が入り、当時の状況を上長に直接言うべきかどうか考え始めた頃、年齢が近い他部門の人に相談したときがありました。
自分の業務上の状況や心の状態をすべて話し聞いてくださったことで気持ちが楽になりましたが、後に、この話したことが退職を決定づけることになります。
後日、上長との面談で私の心の状況をすべてお伝えし、アドバイスをしてくださる部分もありましたが、面談中のお言葉で「〇〇さんに、泣きついたんでしょ」という一言があり、衝撃を受けました。つらい状況を相談したのに「泣きついた」と言われ、四面楚歌なんだな、と理解しました。

結局、12月20日が最後の出勤になりましたが、この直前の数日間は、出勤せずに自宅でマーケティングの本を読むように言われ、出勤した12月16日に、マーケティングを理解しているかどうかのテストが実施され、翌日の12月17日の朝に電話で12月20日の朝早くに出勤して荷物をまとめてすぐに帰るように指示を受けます。

振り返ってみると、11月以降、社長の娘さんやお孫さんから嫌われてしまうような何かをしてしまって、私を排除する方向に持っていかれたのかな、と感じたりします。退職後、仲良くしてくれている他部門の方から聞いたお話だと、同じような状況になって退職した方が4名、異動となった方が2名いたようで、私も同じようになってしまった一人になりました。

結果的に、同社での仕事を続ける場合「親族経営の企業で生きていく術」を学ぶことになり、本来、学びたかったマーケティングが学べないままになっていたこともあるので、退職することになって良かったのかな、と感じています。
「元の自分に戻っていますか」と聞かれると、戻ることができていませんが、どんなに辛かろうと、頭や手を止めると退化するばかりで、何も前に進まないので、自身の会社の事業を進めつつ、ダブルワークさせていただける企業様を探しつつ、今に至ります。

いまこの時も、昨年末のことがフラッシュバックして、何も手につかない時間が訪れますが、「いま自分がやりたいことは何か」、「やりたいことを進めるには何をしたらいいのか」を考えて手をつけたり、趣味の読書や映画鑑賞、野球に関することを考えたり、時にはランニングすることで、フラッシュバックの回数が減り、濃度が薄くなっていくのを感じています。

44歳にもなってこんな経験をするとは思ってもいませんでしたが、得たものもあるので、得たものからの学びと、自分の会社の事業に必要となっていくであろうことを学び、何歳になろうと、自分なりにあらゆることに目を向けて学んで成長していきたい、そう強く想う今日この頃です。

そう、11歳から始めた野球を30年続け、ここ4年ほどプレーができていませんでしたが、Instagramを通じて誘ってくださるチームがあり、再開しようかな、と身体を動かし始めています。
何歳になっても野球がうまくなりたい、そう思いながら、最近は、宮本慎也さんの「解体慎書」を拝見し、野球の基礎を再勉強(私の世代とは違う現代の基礎を学んでいます)しています。
野球でも辛い思いをしましたが、なぜか辞められません^^

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