リスクとベネフィットの間で完璧主義はどう揺れる?
どんなに素晴らしいアイデアでもリスクはつきもので、完全なものはないために、それによって得られるベネフィットとリスクを突き合わせて総合的に判断していくのが良いとされています。これは、不完全な私たちがどう最善を尽くしていけるのかという発想で、Cost Benifit Racioで計算されたりします。ワクチンと感染症のリスクもそのような計算のもとで行われているはずです。
完璧主義、あるいは完全主義と言われる人たちは、リスクを最小限に抑えるために努力して素晴らしい業績を上げていきます。日本の鉄道スケジュールの狂いのなさなどは世界にも類を見ない偉業です。1分の狂いもないように組み立てられており、その1分の狂いが生じたときには謝罪のアナウンスが流れるという国民性は世界中で驚嘆の眼差しを集めています。責任感ある真面目な方々はその仕事ぶりに達成感を感じて誇らしく思っていることでしょう。サービスを受ける側も信頼感謝して安心していられます。
しかしながらその陰で、目に見えないところでどれだけのものが犠牲になっているかを考えると辛い気持ちになります。一番犠牲になるのが家庭生活、そして本人の健康ではないでしょうか。完全主義の方は鬱になりやすいことも知られていて、今では、できる範囲の最善を、と強調されることが多いですが、完全主義の気質を持った人は知らず知らずに完全主義的な行動をしてしまいがちです。
最善を尽くしながら倒れていく残念なケースを防ぐためには、持続可能かどうかという視点で見直す必要があります。その最もわかりやすい指標は、その行為自体が喜びを伴っているか苦痛を伴っているかという自分の感覚ではないかと思います。個人差があるために、他の人にとっての快感が、違う人にとっては苦痛だったりするものです。人並みにやらなければ、とかあの人はあんなに頑張っているのにといった発想は辛いものではないでしょうか?自分にとって最適なペースを見極めて心地よく進んでいくこと、これはもしかしたら、「足並みをそろえる」ということではないかもしれません。
個性尊重とみんなで一緒にという発想のジレンマは、常に付きまといます。
さて、自分らしく自分のペースで進むというモットーのTuuliは、これからどのように進んでいくのでしょうか?4月のモニター開講に向かって楽しく試行錯誤しています。冷や冷や?ワクワク?の毎日です。