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(150) 認知の歪み〜part1

”認知”なんて言葉を使うとどうも「認知症」を想像されてしまいそうだが、「認知症」というのは物事を歪んで理解する訳ではなく、記憶が引き出せない病なのだから、まるで違う。”認知の歪み”とは、見るもの・感じるものを事実とは違い、歪めて理解するということである。思い込むとか誤解をすると考えていいのだが、それは、単に誤解して解釈するとか思い込むぐらいでは済まないことになるから、細かく理解して今後に活かして欲しいと思う。

先のnote『(148)思考と感情』で、歪んで物事を受け取ることについて書き留めた。数々あるその歪んで事を受け止めることについて並べてみたい。その歪みは、不合理な悲観的態度をつくり、憂うつを生み出すものだから、放置したりすると気分障がいに陥ったりすることもあり、早く抜け出して欲しいと願いを込めて報告する。

① マイナス化思考

何も決して影響を与えないことやむしろ良い出来事をマイナス方向にすり替えてしまうこと。これは良いことを無視するだけで終わらないで、正反対の悪いことに替えてしまうのだ。つまり、二重の誤差をつくり出すということになる。例えば物事が上手くいかなかったとしよう。それを「こんな私だからやっぱりそうだ」と考えてしまう。もし逆に上手くいっても、「これはまぐれだ。もう二度とあり得ない」と考える。悲惨なことだ。合理的で正しい意味づけができないばかりか、続くとしたら自己否定感が増大し、憂うつが続くことになる。このような良い出来事を無視してしまうことはないだろうか?人生の豊かさを奪い寂しいものにしてしまうことになる。この思考は、数ある歪みの中でも一番悲劇的だ。自身の深いところにある自己否定の構えが無意識にそうさせてしまうということだ。だからと言って、自己否定の構えを変容させることは簡単ではない。

② 全か無か思考

これはつまり、物事を白か黒かどちらかに分けて考えてしまったり、ゼロか100かと両極端に理解してしまう傾向のことを指す。例えば、「選挙で負けたので、もう私はゼロです」なんて政治家の言葉はそれである。また、成績にBの評価がつけられたので、「もう完全にダメだ」などと思うことなどがそれにあたる。白と黒の間には白からグレー、黒へと無段階に色は存在するはずなのに、極端な判断しか頭の中にはないのだ。このような考え方の基には、完全主義が必ずあるはずだ。どうでもよい取るに足りない小さな失敗をも、完全な失敗者でまるで価値のない人間だと思ってしまうのだ。これは、”事実”からかけ離れてしまい、結果大変なことになる。そうなってしまうには、そうなるだけの意味が必ずあるのだ。自身をいつも否定しているという前提があり、なにかあるごとにその「自身のダメさ」を証明したいと強く内面からの働きかけがあると思われる。まるで無意識にやってしまうのだから、当然その自覚はない。だから、いつブレーキを踏んでその思考を止めようなどと、期待できるわけでは全然ない。このような考え方は非現実的である。この世に「完全」なんていうのはほとんどない。完璧に優れているというものも、全面的にダメというのもあり得ないことだ。弱点がなく完全無欠もないし、その逆もないからだ。このような主義は現実的ではないばかりか、まるであらゆる場面に折り合わない。現実にはこの誇張された過大な要求水準に合わせることができないのだから、常に自信のない不安定で揺れてばかりの状態に自分を置くことになって怖いのだ。気分障がいのすぐ隣に居続けることになる。

③ 一般化のしすぎ

偶然あることが一度あなたの目の前で起きたことが、この先何度も何度も繰り返し起きるのではないだろうかと怖れることをいう。確率のきわめて低いことが起き、これ以後もたびたびそれが起きるのではないかと一般化してしまうというものだ。それはきわめて低い確率でしかないことが考慮されていないのだから不合理と言わざるを得ない。ある日、ドライブ中に鳥がフロントガラスにぶつかってきたとしよう。不幸中の幸いでフロントガラスが損傷することはなかった。まずまずの事故だった。このような滅多にないことが、これからも起きるのではないかと怖れ、運転することまでもが出来なくなった・・・など、トラウマにしてしまう。私は五十年毎日運転しているが、鳥に衝突されたなんてことは一度もない。そんな確率でしかない。

④ 心のフィルター

いつも日常的に不安が大きく、具体的に「何」が不安なのかというわけでなく”潜在的不安”が働き続けている場合、現実に起きることを取り込む際に”不安”というフィルターを掛けて解釈することを言う。もともと”不安”があるのだから、そんな表情をしているのだろうし、フィルターもそう働いてしまう訳である。あなたの”不安”という特別製のレンズで見る、ということになる。世の中のポジティブなことだとか、明るく良いことも見えなくなるはずだ。世の中が真っ暗に感じられ、無用の苦痛を引き起こしてしまうはずだ。

⑤ 心の読みすぎ

他人があなたを見下していると思い込む。他人の心の中を勝手に誤って理解してしまう。当然本当にそうなのかを確かめたりすることをしない。あやふやなまま勝手に決めつけるというものだ。例えば朝、出社するなり課長に「おはようございます」と、挨拶したとしよう。にもかかわらず課長からは
何の言葉もない。それを、無視されたとか嫌われていると解釈する。これは陥りやすく、よくあるかも知れない。それは、色々な可能性が考えられるにもかかわらず、多々考えられる可能性の中のひとつを「決まっている」とばかりに選び取り、自分の首を絞めることになる。”ひとり相撲”を取るということだ。その基には、強い自己否定が隠れている。「どうせ私なんか・・・」が働いて「無視された」に直結してしまうのだ。この先に”先読みの誤り””拡大解釈と過小評価””感情的決めつけ””すべき思考””レッテル貼り”
”個人化”などがある。それは次回取り上げることにする。要するに、その時のあなたの「気分」や「感情」がその”認知の歪み”を瞬時につくり出してしまうということだ。考えてみて欲しい、あなたの「気分」や「感情」は”事実”ではないのだ。気分の良い時と悪い時とで人生に対する考え方が全く違ったりするものだ。”事実”ではなく、思考したのちに充てる「気分」による大きな錯覚でしかないことに気づいて欲しい。人生における最大の悩みは、この”認知の歪み”によるもものだ。