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この動画を観てほしい。 『土中環境』の著者、高田宏臣さんによる 能登半島地震の現地調査報告である。 まるでダーツの中心ばかりを射抜くかの如く 芯をまっすぐ突く視点で、現代の建築、土木の在り方の見直すべき点を鋭くズバンズバンと指摘される。 それは、建築だけに限ったことではなくて、私たちが今「一般的」「普通」と思って生活している日常の環境すべてに言える問題点なのだ。 山を切り開いた宅地、 コンクリ鋼管杭の入った大型建築から一戸建ての基礎、 敷地の周囲に設置されたU字溝や擁壁
”まのいいりょうし”を屋号に掲げる私たちは 常々”まのいい暮らし”について考えている。 ・ 我が家には2020年生まれのオス犬がいる。 ある日、猟師さんが猟犬を連れて山に入ったが、放した犬がなかなか帰ってこないなー、と探しに行くと、別の猟師さんが連れていた猟犬と結婚していたそうな。それでできたのが、うちのセバちゃんだ。縁あって、9ヶ月のときに我が家の一員となった。 セバの父犬は和歌山の熊野犬、母犬は宮崎の日向犬だそうで、生粋の猟犬雑種。猟犬は地域ごとに血を大切に種を
前回からのつづき。。。 「最良の選択」 なぜ岩美町だったかというと、鳥取市出身である妻の実家が近かったことと、狩猟漁労採集を生活の基盤に据えたかったからだった。岩美町には美しい海と深い山があり、条件さえ揃えば、その夢は実現できそうだった。まずはその条件の大きな一歩、基地となる場所を探さねばならない。 実は、周南市に住みながらも、場所探しはしていた。はじめのころは岩美町に限らず、山口県下でも探していたが、なかなか理想的な物件とは出会えずにいた。 そんな中、長男が小学生に
前回からのつづき。。。 「定住し、労働する」 周南市での定住生活は、絵にかいたような幸せぶりであった。それもそのはず、私たちは新婚であったし、子供も生まれたばかりであったのだ。少々お金がないことくらい、なんてことはなかった。音楽で生計を立てていくと気張っていた僕は、予定通り新しい作品を作り、リリースした(風博士6thアルバム『声とギター』2012年9月発売)。 不案内から始まった周南での生活も、縁に恵まれて、友人もできた。周南市を拠点に、新しい作品をもって全国ツアーもし
樹木が好きである。 しょっちゅう、木を見ている。 樹木には、大別すると、冬になると葉の色を変え落とす「落葉樹」と、一年中緑の葉をつけている「常緑樹」とある。どちらも味わい深く、甲乙つけがたいが、どちらかといえば落葉樹が好きである。 ある日、子どもに「おとうさん、なんで葉っぱは落ちちゃうの?」と聞かれた。私は子どもからなにか聞かれたら、基本的には真剣にこたえる。しばし考えてこうこたえた。 「えーっとね、葉っぱには二つの大切な役割があるんだけど、ひとつは光から栄養をつくるこ
“まのいいりょうし”を屋号に掲げる私たちは 常々”まのいい暮らし”について考えている。 私が「結(ゆい)」という言葉を知ったのは、TVドラマ”北の国から”のワンシーンだった。 結とは、農村や集落に古くからある助け合いの輪で、例えば 家を建てたり、田植えや稲刈りといった作業を、お互い様で働きを協力し共有し合うこと。ドラマの中で五郎さんは「手間返し」と言っており、「漁村では『もやい』と言い、内地では『結』と呼ぶ。まだここらには残っとるんですなあ。」というトドのしみじみした
樹木が好きである。 しょっちゅう、木をみている。 山の家で暮らす前は、スギとヒノキの区別すら出来なかったが、今は遠目から見ても区別できるくらいになった。 映画なんかを見ていても、つい木々に目が行ってしまう。アニメ映画などをみていても木に目が行くので、樹木が不自然に描かれていたりすると途端に興ざめしてしまうという弊害もあるが… それにしても樹木は知れば知るほど面白く、奥深い。僕はもともと、樹木とは地上より上の部分を指すものだと思っていたが、もちろんそれだけではない。樹木に
”まのいいりょうし” を屋号に掲げる私たちは 常々 ”まのいい暮らし“ について考えている。 夏は 暑いものであり 冬は 寒いものである。 文明の発達により「快適」を手に入れた現代、アセモやシモヤケ知らずの生活に慣れてしまうと、四季の寒暖を生身で受ける感覚をうっかり忘れがちだ。 昔、気温が40℃を超すアフリカの町を旅した時のこと。 もう、その暑さたるや、息をするだけでやっとという程で、本来ならゴソゴソと動き回っていないと落ち着かない性分の私なのだが、あまりの暑さに「今日
こんにちは。まのいいメンバーのなおみです。8月6日(日)は、まのいい日の活動日でした。今回は私の実家で庭の環境改善、廃材の処理をしましたので、その様子をお伝えします。 ・廃材の処理 まず私の実家は岩美町のお隣、兵庫県の隅っこの新温泉町にあります。そこで家族で自営業をしていて、私はその手伝いをしています。田舎の家なので、「いつか使えるだろう」と思って置いてあるものがたくさんあり、そのひとつが昔の改築なので出た廃材です。 数十年放置されたかつての梁は虫に食われてかなり
いのちってなんだろう? いきているってなんだろう? 小学生くらいのころにふと思った疑問に、今だってふいに立ち返ったりする。 最近は微生物に夢中だ。 ・ 微生物の定義は単純で、私たちの目に見えない生物たちのことだ。 この微生物の世界が、驚くほど、深い。 どうやら深すぎて、今の私たちにも、よく分かっていないらしい。 ・ たとえば、正確に何種類いるか、わかっていない。 どれくらいの量いるのかも、わかっていない。 どこにいるかもわかっていない、というよりいる範囲が広すぎて
”まのいいりょうし” を屋号に掲げる私たちは 常々 ”まのいい暮らし“ について考えている。 うちにはテレビがない。 なので、たまにテレビ番組を見ると 新鮮な気持ちで感心してしまう。企画や構成、番組一本作る為にかけられた時間や人力の数を想像して、「すごいな」と素直に思う。 先日、わたしが信頼してやまない絵本屋さんに勧められた番組を観て、すこぶる感動した。NHK の「こころの時代 言葉の力 生きる力」という番組で、児童文学者 松居直さん のインタビューである。
感じ、観て、考え、動く。 なるべく自然に寄り添い暮らそうとする中で、大切にしようと心がけていることがあって、それを感観考動とよんでいる。 ・ 我が家にはセバ太という名前の犬がいて(通称セバ)、朝夕の散歩が日課である。 犬の散歩は、だいたい、同じような道を、同じような時間に通る。だから人も、同じような景色を、同じような時間に見ることになる。 セバとの散歩は大抵が山道なので、路肩の脇によく落ち葉が溜まり腐葉土化したりしているのだが、ある日、その腐葉土が、ところどころほじ
木はブッダである。 ブッダとは特定の人を指す言葉ではなくて、「悟りを開いたもの」という意味であるそうだ。 仏教が好きで、その類の本を読んだりするけれど、悟りや解脱がなんたるかはよく分からない。しかし、辞書的な定義の悟りや解脱であれば、木はそれを体現している(ようにみえる)。 そもそも釈迦はインドボダイジュの下で悟りを得たというし、また、釈迦以前に6人のブッダがいたという考え方があるのだが(過去七仏)、その6人にもそれぞれ別の木の下で悟りを開いたということになっているらし
”まのいいりょうし”を屋号に掲げる私たちは 常々’まのいい暮らし’について考えている。 うちのお風呂は 朝までぬくい。 夏なら追い焚き無しで朝風呂を楽しめるレベルで ぬくい。 冬でも 洗濯物をちょっと手洗いしたい時に丁度有り難く ぬくい。 この抜群の保温力を誇るのは 我が家自慢、手製の五右衛門風呂にござる。 築100年位と予想される古民家を 自分たちで改装しながら住んでいる我が家であるが、この風呂場はウチで一番の映えスポットだ。 なぜ 令和の時代に薪で焚く風呂を