どうして発信するのか
ずっとアーティストマネジメントを続けてきて、感じてきたことがある。
私は代弁者なのだと。
自らが担当するアーティストの想いに深く共感することでその作品を私が代弁して伝え続ける。
時にそれは音楽であったし、書の作品であったこともある。
フラワーアーティストであった時もあった。
そうやって様々なフィールドのヒトの見地が今の私を作ってくれた。
アーティストの傍でそれを応援する仕事。
この仕事に出会えてやっぱり良かったと思っている。
時にぶつかって作品に対して口出しをしながらも靴底を擦り減らしながら放送局や代理店、企業にその作品のプロモーションをしてきた。
そこに対しては常に誠実であったと今でも思っている。
だけど、結果はどうだったのかと顧みるとアーティストたちにとっては満足のいくモノではなかったのかもしれない。
アーティストたち、何かを作るヒトたち、彼らはずっとその作品を発信し続ける。
それがいかに大変で過酷なことであるか。
とても繊細で傷つきやすい彼らをずっと見てきた。
そんな彼らを傍でサポートしつつも、もっと発信せよ
もっと良い作品を作って欲しいと伝え続けてきた。
そんな私もアーティストマネジメントという仕事を経て40を過ぎて企業のリーダーとなった。
アーティストのマネジメントからは離れたものの組織のスタッフのマネジメントと向き合うようになり、組織に対しメッセージを発信しなければならない立場へと変わった。
立場の変化に伴い誰かの発信のサポートではなく、自分の言葉で自分の考えを発信しなければならなくなった。
自分の言葉で何かを発信していかなければならなくなった時はじめて自分の言葉で表現を発信し続けるアーティストたちの覚悟や想いを分かるようになってきた気がする。
歌であれ、曲であれ、アートであれそれらは彼らが身を削り紡ぎ出した創作活動の結果だった。
アーティストは発信し続けた結果が数字で売上で現実に突きつけられる。
それでも歌い続けなければいけない。
それだけがアーティストである証だから。
私も企業のリーダーとなった時、同様に発信し続けなければならなくなった。
リーダーは組織の進むべき方向を指し示し続けなければならない。それだけがリーダーがリーダーである証だから。
私が発信していくことでまず組織がそれに共鳴しあるいはそれに反発し自分の考えを固めていければ良いと思う。
必ずしも正しい必要はない。
摩擦をすれば良い。
私がアーティストにそうであったように組織はリーダーに対してさえ思う言葉を真摯にぶつけてぶつかって生み出していく、それが仕事なのかもしれない。
そんな小さな発信が組織を超え外部の誰かと小さなコラボレーション、化学変化を起こしていくこともある。
それが大きなうねりを生み出してくれるかもしれない。
そんなことを想い、私は発信するのだと思う。
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