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cheka
2022年9月10日 09:30
週に一度は母を買い物に連れて行く。「あんたと買い物に行けなくなったらどうしよう…。」母はこの買い物へ出かけることをリハビリだとか、体調のバロメーターのようにしているようだ。行くお店はだいたい決まっている。それぞれのお店の開店時刻に合わせて、買い物は朝のうちに済ませる。母はパーキンソン病を患って長いが、寝ている間にまだほんの少しはドーパミンを自ら作れているようで、朝の間は比較的調子がいいのだ。
2021年12月21日 09:16
年のわりにキメの細かい母の左の頬が水膨れている。一晩中、頬で体を支えていたせいだ。母がパーキンソン病だと分かってから、大方10年以上になるだろうか。幸い気づいたのが初期だったこともあり、薬を飲めば症状はなくなった。あの頃はまだまだ若かった。10年薬を服用すればやはり薬の効果は薄れる。そして、人は誰しも老いていく。治る病気なら希望があるが、パーキンソン病はゆっくりゆっくり悪化していく一方で希望
2021年1月15日 14:35
家族みんな歌を歌うのが嫌いじゃなかった。父も母も妹もどちらかと言えば、うまい方にはいる。自画自賛だが、私に関していえば、中学の文化祭で歌を歌った事実もある…。父は、「ピーピーピーピーピーピーピー…」とイントロが始まれば、泥酔していてもマイクを探した。長渕剛のトンボが十八番だった。母は、いとしのエリーが十八番。アナウンサー志望だったという美声で披露した。歌スキが歌を歌えなくなるのは、傍で見るも
2020年11月6日 17:53
「こちらのおばあさん、お願いします。」そう言う店員さんの声を聞いて振り返ると、その「おばあさん」とは家の母のことだった。そうか。「おばあさん」なんだ。と改めて気付く。そもそも、私だって「おばさん」なんだし仕方がないけれど。私に子供がいないから、即ち、母は家の中で「おばあさん」の役割を成していないわけで、「母」のままだった。「母」は年老いては来ているが、「母」であって「おばあさん」ではなかった。
2020年6月24日 18:14
薬との調和をとるのはとても難しい。薬屋の孫だが、薬を100パーセント信じていないところがある。お医者さんによっても解釈が違うと患者としてはますます難しい。母はもう十年以上前からパーキンソン病を患っている。最初は台所で野菜をリズムよく切ることが出来ない…から異変に気付き始めた。当時は、パーキンソン病という病気はマイケル・J・フォックスやモハメド・アリによって知っている程度であった。まさか近くにい
2019年11月5日 18:43
久しぶりに母と公園を歩く。日の光に照らされた彼女の横顔は少し皺が増えた様に見えた。年の割にキメの細かい肌をしている。若い頃に手入れを怠らなかった勲章だろう。我が家では一番の肌質を保っている。だが急に細かい皺が増えた様に見えた。髪も伸びている。近頃、私の体調が悪かったので髪を切ってあげられずにいたのだ。家に戻ったら、髪を切ろう。ずっと見てもらっていた先生が病院を移り、若くて合理的な先生に変わ
2018年9月7日 23:20
なんだか急に、母が小さく見える時がある。実際にはスプーンおばさんの様に何かの切欠で急に小さくなるはずはない。ある時不意にそう見える。年老いた小ささともうひとつ、全てにおいて鈍くなり、まるで子供のような幼さゆえの小ささ。どんどん母と娘の関係が逆転していくような感覚。悲しく、苛立たしく、そして愛おしい。その相反した思いが張りつめる。パーキンソン病はゆっくりゆっくり進行する。確かな原因も