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いいことありそうだと感じた日

週に一度は母を買い物に連れて行く。
「あんたと買い物に行けなくなったらどうしよう…。」
母はこの買い物へ出かけることをリハビリだとか、体調のバロメーターのようにしているようだ。
行くお店はだいたい決まっている。それぞれのお店の開店時刻に合わせて、買い物は朝のうちに済ませる。母はパーキンソン病を患って長いが、寝ている間にまだほんの少しはドーパミンを自ら作れているようで、朝の間は比較的調子がいいのだ。病歴が長くになるにつれ、薬の効きが短くなっていることを母は不安がっている。勿論、傍から見れば、それにはただ単なる老化も加味されいるのだと思うけれど、本人はやっぱり老いが進むことよりも、病状が悪化していくことの方を心配している。
母とは別に暮らしているが、歩いても行ける距離に住んでいる。別に住んでいるので、買い物に行って何をどれだけ買うかはそれぞれ違う。お店に入れば、それぞれの目的地へと散らばっていく。時々、同じカテゴリーの売り場で八合わすこともあるが、支払いを済ませるまでは別行動だ。
遠くに見かける母を眺めて、今日は調子がいいなとか、今日は朝なのに固まりかけているなとか、確認してしまう。もし、私に子供がいたら鬱陶しい母親になっていたかもしれないなと思う。母には、
「あんた、私に神経行き過ぎ。」
と、か弱い声で反論されたりする。でも、やっぱり見つけると目がいってしまう。だけど、これでも極力手は貸さないように努めてはいる。手元が上手く動かせず、レジでもたついているのを見かけたりするけれど、走って行ったりはしない。大方、親切な店員さんに助けられたりして、事なきをえている。他のお客さんに迷惑になりそうか…と見渡すも、朝一番はやはり高齢者が多い。みんな、お互い様とでも言わんばかりで、ゆったりとした時間が流れているように思う。足らずが出て、仕方なく夕方に買い物に行くと午前中と空気が全然違うことに気づかされる。
小銭を扱うことが苦手だと認識した母は、キャッシュレス決済にし、どうしても小銭が貯まると郵便局のATMにジャラジャラと預けるようにした。とは言え、年のわりに携帯でキチンとポイントも使ったり、貰ったりしていたり、デジタルだって使いこなしているのだから、中々な高齢者だと思う。

いつものようにレジに並んでいると、もうすでに支払いを済ませた母が袋に買ったものを詰めている姿を見つけた。母にとっては、この作業も一苦労だ。
「ああ。もう買い物済ませたんだ。」
居場所を確認して、私は自分の順番が回ってくるのを待っていたのだが、母とは別の老婆が目に入った。老婆は、お肉かお魚を買ったのだろう。保冷剤をもらおうとしていた。このスーパーでは、既成のジェルタイプの保冷剤と、ドライアイスがある。てっきりジェルタイプの保冷剤を選ぶのかと思えば、老婆はドライアイスの方へと向かった。ゴミの分別が面倒なのだろうなと思ってみていた。ドライアイスをもらうには、ボタンを押して、プレートを引き上げ、ドライアイスが落ちてきたトレイを引き出して、自分で穴の空いたビニール袋に入れなけばならない。ボタンは押して、ドライアイスは落ちてきたものの、トレイを引き出せずにいる。老婆は少し焦った様子で、お上品にガチャガチャと無理やり引っ張ろうとするけれど、プレートを引き上げなければトレイは引き出せない。
「ああ。だめだめ。プレートを引き上げないと。」
行こうか?いや、順番がもう回ってくるし、誰か教えてあげる人はいない?店員さんは近くにいないかな…とひとり心の中で静かにジタバタしていると、老婆の背後からそっと手が伸びて、プレートを引き上げた。その救いの手の主は母だった。まるで天使、皺皺だけど…そして、よいよいの天使…と思ってクスリッとした。漠然とこの人の子で良かったと感じていた。
老婆は少し驚き、はっと全てのことを理解して丁寧に母にお礼を言っているように見えた。母はにこりと微笑んで、「いえいえ」と肘から指先までがまるで一本の木のように固まった手をゆさゆさと左右に振った。このしぐさ、母の母、即ち私の祖母と同じだ。そのうち私もするのだろうか?

「助けてあげてたん?」
レジを済ませて母に言うと、フフンと笑った。
「困ってはったから。年寄りはな…困ったもんや。」
自分も年寄りでパーキンソンの母が言う。
近々、母に何かいいことでもありそうな気がした朝だった。

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