【愛着障害・うつ・AC】破壊と再生〜修行時代は終わった、つぎは
ミドルエイジクライシス、という言葉があります。
中年の危機。ユングは中年期を人生の正午に例えました。人生の前半を登りゆく太陽、人生後半を沈みゆく太陽とよび、そのまんなかの中年期の重要性を強調しました。
私にも四十歳前後に危機的状況が訪れました。
仕事も結婚もすべてが立ち行かなくなり、人生が八方塞がりになったのです。
私は自分を救うために、そしてこんがらがった人生の謎を解くために心理の世界に飛び込みました。
それは長い自己探求の旅に出ることでした。
この旅に出ることは同時に現実世界と距離を置くことを意味していましたが、そうすることに何の迷いもありませんでした。
私は婚姻関係や仕事などの生活のすべてを手放しました。
人生の後半を生きていくためには、これまで築いてきたものを破壊して新しく生まれ変わる必要があったのでした。
長い旅の途中に南の島、石垣に住むようになりました。
南の島での体験は本土出身の私にとってまったく非日常で新鮮でした。
亜熱帯の眩しい光と、太古から続く命の源としての大自然がそこにはありました。
その力強いエネルギーを身体の隅々まで浴びて、少しずつ生命力を取り戻していきました。
まるで導かれたように貴重な体験がつぎつぎと私のもとに訪れました。
そのときの私に必要な体験をさせようと何者かが仕組んだのかと思わせるような深い意味のある体験なのでした。
なかでも離島の秘密の祭祀に招かれたときはそうでした。生きる根源とは何か?という、そのときいちばん知るべきテーマが降りてきました。
母親に拒絶されて根付く大地を失い、完全に根無し草になっていた私に大切なことを教えてくれたのでした。
そのときの記事はこちらです。
生きる根源とは、二つありました。
一つは出自です。自分は何処の誰なのか、ということ。
生きていくには、自分を産んで育てた親との絆があることが何より大切なことです。絆とは信頼関係のことです。
絆を取り戻していく作業は、私にとって気の遠くなるような時間を要すことになりました。今でもその作業は継続中です。
生きる根源のもう一つは、普遍なるものとの繋がりです。
あらかじめ親との繋がりを喪失していた私は、大自然の中で大いなるものと繋がる体験をしました。
そのときの記事はこちら。
かずかずの体験を通して気づいたのは、私は安心感が欲しかったのだということでした。
この旅は安心感を求める旅だったのでした。
自分に安らいでいること、人との関係に安らいでいること。たったこれだけの事がなんと難しかったのでしょう。
さいきんは不安と緊張がどこかにいってフラットに近づいてきたのを感じます。
あれから時間は流れ、島での暮らしは今年で十六年になりました。
人生観も人間観も、苦から楽へと、喜びへと変わりつつあります。
精神世界をぞんぶんに彷徨ってきたこの年月のあいだに、私は宇宙の何処かに根を下ろすことが出来たのかもしれません。
そろそろ軸足を現実世界のほうに移す時が来たような気がしています。
安心感という大きな収穫を手にして、いま長かった旅から戻って来ようとしています。
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