【愛着障害・うつ・AC】不完全な自分が完成形?! 私が人生と和解できたわけ
「私たちはドンピシャリのタイミングで、ドンピシャリの場所にいる」
誰だったか忘れましたが、スピリチャリストの言葉です。
人生は予期せぬ出会いの連続です。
十六年前、京都でどん底体験したあと旅をした八重山諸島の石垣島。
そこで偶然知り合った人に誘われて西表島でキャンプしていたとき、とつぜん一瞥体験をして絶望から救われたこと。
瞑想家でもヨガの行者でもないのに、何故かその時の私に必要な体験が向こうからやって来た、としか言いようのないような不思議な出来事。
京都では、良い条件の縁談が持ちかけられていたのに、相手の人には心を動かされることは無く、それより石垣移住を選んだこと。
そのとき波長の合うもの同士は惹きつけ合って、波長の合わない同士はすれ違って行くんでしょうか。
これまで出合って縁を結んだ人たちは皆んな、出会うべくして出合った人なのでしょうか、あるいはただの偶然なのでしょうか。
出会ったことは偶然かもしれませんが、その人を選んで、その人との関係を作り上げたのは自分です。
その関係が良いものであっても、そうでなくても、少なくても責任の半分は自分にあります。
良くも悪くも、そのときの自分の波長にあった人と出合って、そのときの自分の波長にあった関係を作り上げていたのかもしれません。
だけど、一つだけどうしても納得がいかない出会いがあります。
両親です。
なんで、あの人達なんだろう。
あの人達から生まれて、この人生を生きている、そのことをどう受け入れて、どう諦めればいいのでしょうか。
生まれて来たくても、生まれて来たくなくても、否応なしにこの世に押し出されて、生きたくても生きたくなくても、否応なしに生かされている。
何一つ私は選んでもいないし、何一つ私は決めてもいないのに、あの人達が私の両親として私を勝手に生んだ、のではないか。
「私はあの人達を親とは認めない」
言えたらすっとした。
あの両親から生まれたのは、私の責任ではないんだけどな。
何時まで経っても親への執着からは逃れられませんでした。
しかし、二十年もセラピーやっていれば、諦められる瞬間が来るもんです。
自分の人生と和解する瞬間が。
自分のホロスコープを初めて見たとき、噛み合わなかった符号が一致したような気がしました。
ホロスコープは出生日時と出生地によって決まる人生のブループリントです。
生まれた時から私の人生は決まっていて、ただその運命とおりに生きていたのでした。
ホロスコープを見ていると、私の人生は歪な形をしていますが、その歪な形のままで完成形なのかもしれないと思うようになりました。
凸凹な私で完成形?!
いまやっと自分を受け入れる事ができたんでしょうか?
ここが到達点なんでしょうか。
壮大なゴールを目指して自己探求の旅に出た二十年前の私、ようやった。
私はドンピシャリのタイミングで、ドンピシャリの場所にいる、のでしょうか?
まだまだ先があるのでしょうか?