【毒親からの自立】いちばん欲しいものを手に入れていい
「これがフツウだと思っていたことは、フツウじゃなかったことに気づきます」
「これまで積み上げてきたもの、見てきた世界は、嘘の世界だったということに気づいていきます。真実に気づいていきます」
7月の運勢をよむタロットリーディングのYou Tubeを見ていたとき、ハッとしました。
意識に上ってくる以前の潜在意識を読み解いてくれるのですが、そのメッセージはカツンと私の何かに当たったようでした。
さいきん感じている自分への違和感を言い当てているようでした。
自分への違和感とはどういう事かと言うと、いまの自分は嘘の自分だと感じている、そういう事なのです。
私はいつから自分に嘘をついて生きるようになったのでしょう。
それは子供時代の家族関係の中でした。
母の苦悩に大元の原因がありました。
父と不仲だった母は、長男である弟を唯一の味方と見なしていて、将来は長男に守ってもらって我が身の安泰をはかろう、と計画していたようです。
昔の女だから、長男を産んだら天下を取ったのも同然との思いがあったのでしょうか。
ところが、弟は母の思う理想の長男ではありませんでした。
要領がわるくて学校では先生に睨まれるし、同級生からいじめにあうし、喘息持ちで身体が弱く学校をよく休むし、過保護過干渉で育てたものだから骨抜きみたいになってしまって、可哀そうなぐらい覇気にに欠ける人に育ってしまいました。
弟が小学校に上がってからも服を着せてやっていたのだから、どう見ても母の育て方が悪かったのは否めないでしょう。
母は弟を溺愛していました。
親の都合によって、兄弟間の序列は決まってきます。
上が長女で下が弟、真ん中の子供であった私は、親から適度に放任されていたから、自分のことは自分で何でもする手のかからない子でしたし、親の目がないぶん自由でいられました。
しかし、小学校に上がった頃から私の運命に暗雲が垂れ込めてきました。
一学期が終わって持って帰った成績表を見て母が言いました。
「トビがタカを生んだ、トビがタカを生んだ」
そして、三つ下の弟が小学校に上がって私が四年生になった頃、親族会議がもたれたことを成人してから知りました。
叔母の話によると、父は私を跡取りにしたかったそうで、それを母が反対したのだそうです。
私の成績は体育と音楽はできませんでしたが、ほかの学科は全部できました。
父が私を跡取りに推したということは、どうやら弟は成績がぱっとしなかったことが想像されます。
すくすく育つ私と病弱な弟、成績のよい私とぱっとしない弟。
そのとき母は怒り狂ったのでしょうか、あるいは自分の将来を心配して不安になったのでしょうか?
母は家庭内の、おもに子供に対するすべての権力を握っていました。
男として弱っちい長男である弟を、立派な跡取り息子に育て上げるためには、私が邪魔だと思い始めました。
それから母が自分として生きる闘いが始まったのでしょう。
それは私をほかの兄弟からことごとく差別して、自尊心を奪い、弱体化して、生かさぬように殺さぬように、厳しいしつけを、ほとんど虐待でしたが、施しました。
弟を押しのけて家の跡取りになってやろう、という野心は、子供の私は露ほどもありません、というか私はただ呑気で自由な子供時代を送りたかっただけなのです。
私がありのままで居ることが母を苦しめたのなら、それは母の問題であって、私の問題ではありません。
私は何も悪くないのです。
あの母の元に親子として生まれた私は、よほど巡り合わせが悪かったのでしょうか。
時代錯誤かというほど男尊女卑の教育をされましたけど、その内容はいじめと同義語です。
ストイックに我慢を強いられる教育で、いま思えば人権侵害にあたるような事までされました。
同じ女の子でも姉は可愛がられて、私は嫌われました。
長じて姉は自分のほしい幸せが分かっていて、それを躊躇いなく手に入れて、幸せになりました。
いっぽう、私はほしい幸せを遠慮なく受け取ることが出来なくなりました。
食べ物で言えば、すき焼きでいちばん美味しい牛肉に箸を伸ばすことができずに、白菜や糸こんにゃくに甘んじている、そんな人生になってしまったと思います。
悲しいですね。
ですが、これはすべてのアダルトチルドレンの人に当てはまるのではないでしょうか。
真面目で謙虚、欲望を持ってはいけないように教育されているし、そう思い込んでいます。
フツウだと思っていた事はフツウではないのです。
自己否定しているから、フツウではない事をフツウだと思い込んでいたのです。
だから、しんどかったのです。
人間は本来、欲にまみれていても、それがフツウのことです。
アダルトチルドレンの人が真面目に清らかに生きようとするのは自己否定があるからじゃないですか?
これまでフツウだと思い込んできた事を、思い切ってひっくり返したいと思います。
欲を持っていい
いちばん欲しいものを手に入れていい
幸せになっていい
すべてを手に入れていい
お金と美食と快楽、愛されることを手に入れていい
楽しみ、喜びを追求していい
男を立てなくていい
男より前に出ていい
男に勝ってもいい
私は原家族のなかで、母が好むパワーバランスを保つために犠牲になりました。
その体験が原体験となって、その後の人生を決定したのだということが、書いてみて改めて分かりました。
遠慮すること、犠牲になること。
もう、このパターンを手放します。
フツウだと思ってきた事はフツウじゃなかったのです。
これまでが、おかしかったのです。
タロットのメッセージは、そんなことを教えてくれているのだと思いました。
違和感を感じていた自分を脱ぎ捨てて、自由になる時が来たのです。
この夏、母の支配からやっと離れられそうです。