多様性と学習障がいとマイノリティと...
昨日、学習障害の息子のことを書いた。
世界で学習障がいのある子どもは10%いると言われている。それに対して対極にあるようなギフテッドも10%いると言われている。我が家は、長男が学習障がいがあり、次男がギフテッドだ。夫は、発達障がい系。
いろいろと問題になるのは「学習障がい」のほうで、「ギフテッド」は問題視されない。できちゃうから。でもギフテッドの子は、できすぎちゃうが故の生きづらさがあり、本人はとっても苦しんでいる。親の私から見ると、ギフテッドの次男のほうが、人生苦労するだろうなあ・・・と思う。
苦しさは、「普通」の枠に入らないから、大多数の人が理解してくれないことから来ると思う。
学習障がいのことを話していても、みんなほとんど認識がないのに驚くことがある。でも、発達支援に関わっているとか、我が子に学習障がいがないとか・・・つまり、自分に関係がないと意識が向かないのが自然なこと。
学習障がいは10%もいる。10人にひとり。そんなにいるのに、理解してもらえない「普通と違う人」「マイノリティ」になる。
私自身は、障がいもなく、成績も悪くもないけど良すぎることもなく、いたってどこにでもいる平凡な人間だ。・・・と思ってる。
でも、海外在住の日本人って、日本人のうちのたった1%なんだそうだ。たった1%。学習障がいよりずっとマイノリティだったんだ・・・と、最近気づいた。苦笑
他にも、会社経営者、国際結婚、所得・・・いろいろな分野で私はマイノリティにあてはまると思う。シュタイナー教育やってるっていうのもマイノリティ。苦笑
少数派ではあるけれど、私はいたって普通の人だと思って生きてる。どれも、ちょっとはみ出てるだけで、問題視されることもない。
マイノリティは寂しい。みんなと一緒・・・ができないことが多いから。理解してもらえないことが多いから。
でも、マイノリティは楽しい。人と違うことをするのが自然なことだから。大多数の人ができない体験ができるから。
マイノリティでも、ギフテッドは「できる人」で、学習障がいは「問題ある人」と思われてしまう。でも、学習障がいの特徴は、障がい以外の部分で飛び抜けた才能を持っていることでもある。困った所に注目すると「問題ある人」になるけど、才能に注目すれば「すごい人」にもなれる。
一時、「東大生の4分の1はアスペルガー」というツイートが広まった。実際の数字は知らないし、これも単なる印象を現したつぶやきの一言でしかない。でも、すごく腑に落ちる。アスペルガー独自のこだわりとか、特別な認知能力、記憶力、数字とか特定の分野に異常なほどの理解があったりすることは、厳しい受験勉強の強みにもなるから。
アスペルガーも発達個性も学習障がいもギフテッドも海外在住も国際結婚も会社経営者もシュタイナー教育者も、全部マイノリティ。いいじゃないか。
マイノリティだからこそ突出して個性になって多様化になる。発達障がいだって、それを個性として生かせば長所にもなる。
みんなと違う人がいるから、新しい発明があったり、今までないものが生み出されたりする。
自分と違う、自分の理解できないことをしている人たちがいる、自分の想像できない人生があり、体験がある。
その立場にたってみることはできなくても、世界には違う人がいて、違う考え方をしていて、自分には全然想像も及ばない考えをしている人もいて・・・みんないいなあ。
・・・って思えたら世界はずいぶんと変わると思う。
少なくとも、教師はそう思って子どもに向かうといいと思う。
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