犯罪と精神医学(6): 常習的万引きは病気なのか?〜窃盗症(クレプトマニア)の歴史と現在の位置付け〜
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です☺️
皆様は、窃盗症(クレプトマニア)という言葉を聞いたことがありますか?
窃盗症とは、「物を盗みたいという衝動・欲求を制御できなくなる病気」です。
この話を聞いて...
「えっ!?窃盗は犯罪じゃなくて病気なの?」
...とツッコむ方もいると思います。
否、むしろほとんどの方がそう思ってらっしゃるのではないでしょうか?
しかし、精神医学という文脈においては「犯罪行為」であっても、「本人がやめたくてもやめられない」「本人も苦しんでいる」という状況であれば、立派な"病気"になるのです…。
精神科医として末席に身を置く小生も、窃盗症という行動障害が存在することは認めます。
しかし、犯罪行為という司法に関わる行動障害を精神科医療が全て請負うことには反対いたします。
やはり司法と医療の両輪をもって窃盗症に対応すべき...、と小生は強く感じております。
今回のnote記事はシリーズ「犯罪と精神医学」の第6回目として「窃盗症(クレプトマニア)」についてかなりマニアックな視点からご紹介いたします!
本記事を読み、犯罪と精神医学の関わりについて多くの方々が関心を持っていただければ幸いです。
【窃盗症とは?】
窃盗症(kleptomania:クレプトマニア)とは、通常個人的な使用や金銭的利益以外の理由で物を盗みたいという衝動に抵抗できない状態。
現代においては、特に"万引き"をやめられない状態のことを窃盗症と呼ぶことが多い。
クレプトマニア(kleptomania)の語源は、ギリシャ語(盗む: κλέπτω)と(狂気:μανία)に由来する。
↓窃盗といえば、ルパン三世?
【窃盗症の診断基準】
以下に米国精神神経医学会による「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)」の診断基準を記載する。
【窃盗症の疫学】
日本においては詳細な疫学調査はありません。
海外の調査によると、一般人口の0.6%、万引き犯の3.8-24%が窃盗症(クレプトマニア)に該当すると言われております。
男女比は男性:女性=1:3と女性に多い疾患です。
併存する精神障害としては物質使用障害(29-50%)、気分障害 (15-39%)、強迫性障害(5-60%)、摂食障害(2-25%)、他の衝動制御障害 3-24%、不安障害 5-21%、解離性障害 12%が挙げられます。
また身体疾患としては、前頭葉損傷による頭部外傷、側頭葉てんかん、前頭側頭型認知症、咽頭口蓋腫、insulinomaが関与したケースが報告されております。
【窃盗症のはじまり】
おそらく窃盗という行為自体は"所有"という概念と同時に現れ、従って有史以前に存在したと考えられます(モノが誰に所属するか...と考え始めた時に、そのモノを人から奪うという考えも生じたのでしょう)。
そして窃盗が"犯罪"と見做され始めたのも古く、ハンムラビ法典(紀元前1700年代)にはすでに窃盗に対する刑罰がありました。
窃盗のうち窃盗症と深く関係する“万引き”が始まったのは、大量消費社会が具現された16世紀のロンドンであり、“shoplifting(万引き)”という言葉が広まったのは17世紀末だそうです。
そして、繰り返される窃盗が病気では?と考えられたのは、19世紀からと言われております。
窃盗症(kleptomania = klepto: 盗む + mania: 狂気)という言葉はスイスの内科医Andre Mattheyが1816年にはじめて用い、その後フランスの精神科医Esquirol JEDとMarc CCによって1838年に引用され広まりました。
前述の通り"窃盗"という行為はおそらく有史以前から存在したと思いますが、"病的な盗み"すなわち窃盗症という概念が登場した背景には百貨店(デパート)の出現があると言われております。
なぜ百貨店?と思われるか不思議でしょうが、これには理由があります。
窃盗症が注目されるようになったのは、花の都パリに百貨店が登場し始めた時期に重なり、しかもその多くが"女性"であったことにはじまります。
産業革命以前の商売は小売店が主でしたが、18世紀ごろから雨後の筍ごとく台頭したのが百貨店という新しい商業形態です。
それまでは「必要なものを、必要な時に、必要なだけ」購入していた主婦たちは、その圧倒的な品数を目の当たりにして欲望の罠にハマってしまったのです。
つまり以前から窃盗という犯罪行為は存在していましたが、「欲望の殿堂」とも言われる百貨店の出現が窃盗症という病気を析出させたのです。
【窃盗症は女性の病気?】
前述のように窃盗症は女性に多い疾患です。
これは窃盗症という言葉が生まれる以前において既に指摘があり、窃盗を行う女性の特徴についても研究されてきました。
例えば頭痛、記憶障害、月経の乱れ、痔、結婚の失敗、夫の死、更年期、自殺傾向などが盗みをする女性の特徴として挙げられ、特に女性の生殖機能と窃盗の関連性が注目されてきました。
つまり女性の窃盗は生物学的要因によって生じると考えられたのです。
そして百貨店における「婦人の万引き」が社会問題になると、先に説明したAndre Mattheyが提唱した窃盗症(クレプトマニア)という概念が広まり、繰り返される窃盗を「病気」とみなすようになります。
窃盗症という言葉が生まれた当時、その原因についてさまざまな"珍説"が登場します。
たえば、「女性は男性よりも物欲が強い」「女性の方が心が弱いため衝動性を抑えられない」などの他に、「性的に満足の一形態であり、盗まれた物の大きさと女性のペニス願望に関連がある」...、と何だか偏見に満ちた学説が飛び交っていたそうです。
勿論、今ではこのような馬鹿馬鹿しい考えは否定されておりますが、窃盗症に女性が多い理由はもうお分かりですね?
それは古今東西"買い物"という役割を担うのは、男性よりも女性が多いためです。
↓シリーズマンガ「ストーリーな女たち」に万引き常習犯の主婦について描かれております…。
【窃盗症は狂気か犯罪か?】
窃盗症という概念の登場は、医学・司法を混乱させました。
窃盗症は"窃盗という犯罪行為"が「症状」なので、その行為に責任が問えるか否か議論の的になったそうです。
果たして"狂気(窃盗症)は犯罪"なのか...?
窃盗症を病気と見做すことに批判的な学者は、当時の百貨店で窃盗するのは比較的裕福なご婦人が多かったことから「特権階級やお金持ちの女性を救うための詭弁」と窃盗症の存在自体を否定しました。
一方、窃盗症を病気と見做す学者の見解としては以下のような根拠を挙げました。
20世紀に入ってからも窃盗症が病気か否かの議論は侃侃諤諤たる様相を呈します。
その証左として、米国精神医学会作成の診断基準DSM初版(DSM-I: 1952年)では窃盗症(kleptomania)という用語がsupplementary termとして登場したものの、第二版であるDSM-II(1968年)では除外されます。
しかし、第三版であるDSM-III(1980年)には再登場し現在のDSM-5(第五版)に至るまで衝動制御の障害として扱われます。
司法における窃盗症については、概ね「完全責任能力あり」とみなされるケースがほとんどですが、近年では「刑罰は再犯抑制にならない」という理由で、例え累犯であっても実刑を回避して微罪処分、起訴猶予、略式命令(罰金)にとどめるケースも散見するようになっております(詳細は後述)。
【犯罪の "アペリティフ (食前酒)"】
窃盗症を考察する上で、医学的・法学的視点の外にもう一つ重要な要素があります。
それは社会学的視点です。
窃盗症の出現は百貨店の登場と同時期であり、しかもほとんどが女性が罹患する疾患であったため、何らかの社会構造の変化が窃盗症を生み出している…と考えられるようになったのです。
大衆消費社会前夜、欧米の女性は家庭という聖域に縛られて生きていましたが、百貨店の登場は女性の生活圏を広げ、さらに彼女たちに価値観の変化を与えます。
当時百貨店は女性にとって自由に歩き回れる数少ない公共の施設であり、そこには衣服、装飾品、レストラン、ヘアサロン、読書室、文通室、さらには旅行代理店まで、女性のあらゆるニーズに応えるものが用意されていました。
大量消費に不慣れな人々の前に突如として夥しい商品が目の前に現れたらどんな気持ちになるか想像に難くないですよね?
百貨店のショーケースに並ぶ数々の商品は女性客の欲望を過剰に刺激し、高揚した気分にさせ冷静な判断を奪います。
しかし、これこそが百貨店の狙い!
百貨店は欲望を刺激して客にモノを買わせることが至上命題なのです。
さらに百貨店にはモノ・サービスに溢れた空間に加え、ブルジョワ女性等を窃盗という悪事に向かわせるもう一つの要因がありました。
それは、百貨店という不特定多数があつまる場における「匿名性」です。
昔ながらの小売店では店主と客は顔馴染みであることが多く、モノ・サービスのやりとりも一対一の丁寧な対応を取りやすいのですが、一方の百貨店においては多くの客で混雑し、またデパート内の売り子も一人当たりの客に向ける注意・関心は薄まります。
要するに「隙(スキ)」が生まれやすいのです。
このように百貨店という場はいたずらに欲望を刺激し、さらにそのガードの甘さから、犯罪の温床になりうると考えられました。
このような性質から百貨店のことを"犯罪のアペリティフ(食前酒)"と揶揄する人もいたそうです。
なるほど、百貨店の煌びやかな商品の陳列はアペリティフのように"食指"を動かしますよね...。
↓小生の場合、食前酒といえばシャンパンですね。
【窃盗症の現在】
<診断分類>
以上のように、窃盗症は19世紀ごろは病気という認識はありながらも、その原因については科学的根拠に乏しい考察ばかりでした。
しかし、現在では窃盗症は「衝動制御障害(impulse control disorder)」に分類され、病気の一つとなっております(診断基準は前述の通り)。
衝動制御障害とは、自分または他人に危害を与える行為に至るような強い内的欲求に抵抗できない自己制御の障害です。
窃盗症はかつては病的賭博や抜毛症など依存症や強迫性障害と同じカテゴリーに属していおりましたが、現在の診断分類においては「秩序破壊・衝動制御・素行障害」というカテゴリーに分類され、同カテゴリーには反抗挑発症、間欠爆発症、素行症、反社会性パーソナリティ、放火症が含まれております。
反抗?爆発?素行?反社?放火?...共通点は何...?
要するに窃盗症は他のカテゴリーには分類しにくい、ゴミ箱診断的なカテゴリーに属しているのです。
<生物学的メカニズム>
窃盗症のメカニズムとして考えられるのは、ギャンブル依存や物質依存における脳の報酬系の賦活、高揚感が去った後の落ち込みを避けるための離脱回避などが想定されています。
また1ケースレポートによる考察ですが、手術による右眼窩前頭皮質回路(orbitofrontal-subcortical circuits)の障害が窃盗症を引き起こしたことから、この部位が窃盗症に関与する可能性が示唆されました。
窃盗症の薬理学的メカニズムとしては、窃盗症が強迫性障害の合併率が高いことから神経伝達物質セロトニンの低下などが想定されています。
実際、強迫性障害の治療薬であるSSRI(セロトニン再取り込み阻害剤)が窃盗症に有効という報告が数多く存在します。
しかし、SSRIの効果は一貫性がなく逆にSSRIが窃盗症の症状を悪化させることもあるそうです。
そのほかの治療法としては、抗てんかん薬のトピラマート、アルコール依存症治療薬ナルメフェンが有効との方向がありますがこれらの薬剤も十分なエビデンスはありません。
日本においても少数ながら生物学的研究は行われております。
最近、京都大学がアイトラッキングおよびfNIRS(機能的近赤外線分光法)を用いた研究によると、窃盗症患者の前頭前皮質の活動パターンは健常者のそれと異なることが判明しました(文献)。
<窃盗症に対する司法の姿勢>
ご覧のように医学的には窃盗症は何らかの脳器質的な「異常」があることは明白のようであり、治療が必要な「病気」と見做されております。
一方、窃盗症患者が行う犯罪行為に対する司法の姿勢はどのようになっているでしょうか?
先にも少し触れましたが、歴史的には窃盗症は「責任能力あり」と見做されこの傾向は現在も変わりがありません。
しかし窃盗症患者を弁護する弁護士は、”窃盗症は衝動性がコントロールできない病気であるため責任能力は限定的だ"と主張することが多いです。
その理由として、そもそも刑事責任能力とは...
この2点が可能な状態であることであり、窃盗症はこのうちの「行動制御能力」を欠くため責任能力は限定的...という解釈だそうです。
しかし、少なくとも日本においては窃盗症だけをもって「責任能力なし」つまり「無罪」となることはほとんど無いようです(昭和59年の大阪高裁で、摂食障害の併発で"食行動について弁識に従って行為する能力を完全に失っていた"として無罪となったケースがありますが、純粋な窃盗症ではない)。
これは窃盗症と窃盗常習犯の区別がつきにくいこと、また純粋な意味での窃盗症(狭義の窃盗症)に該当するケースが少ないことが理由として考えられます。
特に前述の窃盗症の診断基準中に、
の項目がありますが、大抵の窃盗症は自分の使用目的および換金目的で行われるので、精神鑑定をする精神科医も「(狭義の)窃盗症に非該当」とすることが多いのではないでしょうか。
それに、窃盗症の人の多くは「窃盗」という場面以外では、正常人と同じように生活し社会機能も維持されている場合がほとんどです(学校に行ったり仕事をしたり家事をしたり)。
裁判官も「精神障害で無罪となるのは、統合失調症などの重い精神障害」と考えることが多く、はやり軽度の精神障害と見做される窃盗症は、「責任能力あり」とされるのでしょう。
ちなみにドイツの司法精神医学では、窃盗症は"その他の精神的偏奇"と見做され、疾患ではない精神障害であるため責任能力ありとされるそうです。
↓窃盗対策にこれはいかがですか?
【鹿冶の考察】
今回は"窃盗症(クレプトマニア)"について解説致しましたが、皆様はどのように感じましたでしょうか?
特に本記事の終盤で解説した「窃盗症の責任能力」については賛否あると思います。
現在の司法の判断が正しいか否かは、小生には分かりません。
しかし、小生は窃盗症を含む衝動制御障害を無罪にすることには反対です。
そもそも犯罪を疾病化すること自体おかしなことだと思っております。
確かに窃盗症の人はある意味"間違った学習"により、依存症や強迫性障害のような"脳回路"ができあがっているかも知れませんが、犯罪を犯す人間の脳は正常者のそれとはしばしば違うことがあります(神経犯罪学 Neurocriminologyという研究分野がありますが、これはまたの機会に...)。
"脳のこの部分がこのような異常があるから窃盗症が起きる”という明確なメカニズムがわからない以上、安易に犯罪と脳の異常を結びつけることは危険と思います(現時点では仮説に過ぎないのです)。
それに、窃盗症と同じカテゴリーの衝動制御障害の放火症(放火魔)、パラフィリアに属する窃視症(のぞき)、露出症(露出魔)、窃触症(痴漢)、性的サディズム(DV)はいずれも犯罪行為が症状となっておりますが果たして社会はどこまでを病気として許容することができるのでしょうか?
窃盗、放火症、のぞき、露出魔、痴漢、DVいずれも被害者がおり、回復不能な心の傷を負う方や、中には命を奪われる方もおります。
極端な例かも知れませんが、少数ながら快楽殺人犯なる者が世界にはおります。
快楽殺人犯は殺人衝動が自ら抑えられず、連続殺人犯(シリアルキラー)となることがあります。
"殺人衝動の制御ができないから無罪..."などということが許されるでしょうか?
(余談ですがシリアルキラーで有名なジョン・ゲイシーとテッド・バンディは万引きの常習犯だったそうです)
病気であれば治療を受け同じことが起きないようにするのは可能でしょうが、残念ながら窃盗症を含めた衝動制御障害は極めて難治です(窃盗症については2年以内の再犯率が8割というデータもあるそうです)。
ちなみに令和2年度の犯罪白書によると、窃盗による被害額は年間191億円に及ぶそうです。
勿論全ての窃盗犯が窃盗症ではありませんが、彼らが治るまで被害額は一体いくらになるのか...、社会がそこまで寛容でいられるかは極めて疑問です。
何が言いたいかというと、症状自体が犯罪であればまず罪を償うべきと小生は思っております。
罪を償ってから治療を受けても遅くはないと思いますが、皆様のお考えはいかがでしょうか?
【まとめ】
【参考文献】
1.Manufactureing Kleptomania: the Social and Scientific Underpinnings of Pathology. Dominguez DV, CUNY Academic Works, 2009
2.Understanding and Treating Kleptomania: New Models and New Treatments. Gran JE, Isr J Psychiatry Relat Sci, 2006
https://cdn.doctorsonly.co.il/2011/12/2006_2_3.pdf
3.Kleptomania and potential exacerbating factors: a review and case report. Talih FR, Innov Clin Neurosci,2011
4.Distinct Situational Cue Processing in Individuals with Kleptomania: A Preliminary Study. Asaoka Y et al., Int J Neuropsychopharmacol, 2023
5.クレプトマニアの責任能力について. 古茶大樹, 精神神経学雑誌, 2020
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1220110822.pdf
6.犯罪白書 第4節 財産への被害
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/67/nfm/n67_2_6_1_4_0.html#:~:text=令和元年の,39.3%であった%E3%80%82