薬と精神医学(2): 精神科薬の歴史〜近代向精神薬の誕生:医学三大奇跡の一つ"クロルプロマジン"爆誕!
皆様、こんにちは鹿冶梟介(かやほうすけ)です!
少し時間が空いてしまいましたが、今年立ち上げた新シリーズ「薬と精神医学」の第二回目をご紹介いたします。
第一回目"精神科薬の歴史〜近代薬物療法前史: 古代から近世の精神科薬と治療法〜"では、近代向精神薬が発展する前の精神科薬・治療法について概要を説明しました。
アルコール、大麻、幻覚剤といった、いわゆる依存性薬物が当時の治療薬として用いられていたことは驚かされますが、それ以上に瀉血、瀉下、暴力など科学的根拠はどこ...?と首を傾げるような治療法がかつて横行していたことも注目すべき点です。
また詳細は書きませんでしたが、処遇困難とされた精神病者は施設に収容され、鎖などで拘束されていた時代もありました。
他に方法がなかったとはいえ、科学が停滞したこの1000年は精神疾患を抱える患者さんにとってまさに暗黒時代と言えるでしょう。
しかし、そんな暗黒時代に希望の光が差し込みます。
そうです、近代向精神薬の誕生です。
今回のnote記事では近代向精神薬の誕生について、皆様と一緒に勉強したいと思います!
【近代向精神薬誕生前夜 】
精神科の近代向精神薬の黎明は1950年代と言ってよいでしょう。
1950年...、第二次世界大戦が終結してわずか数年後と聞くと、「意外に歴史が浅い」と感じる方も多いのではないでしょうか?
精神疾患は(おそらく)太古から存在する病気ですが、近代的な薬物療法の誕生からまだわずか70年しか経っていないのです!
人類の長い歴史からみると、向精神薬の誕生とはつい最近の出来事といえますね。
前回の記事では「太古から近世」にわたる長い時代の精神科的治療について俯瞰しましたが、近世に至るまで精神科治療には発展と呼べるような発明・発見はほとんどありませんでした。
時は過ぎ、19世紀にはいると「化学」や「分類学」が発展し、"科学的精神医学(生物学的精神医学)"の胎動がはじまります。
このパートでは「近代向精神薬誕生前夜」として、19世紀から20世紀前半の精神科治療法を簡単にご説明しましょう。
*持続睡眠療法: 薬物を用いて患者を1-2週間(1日あたり15-20時間)傾眠状態にする治療法。不安、苦悶、発揚、興奮などに対して用いられていた。日本では下田光造が躁鬱病患者に適応した。余談だが持続睡眠療法から派生した深睡眠療法(deep sleep therapy)は多くの死亡者がでたため禁止された。
**マラリア発熱療法: 三日熱マラリアに感染した患者から採取した血液を神経梅毒に罹患した患者に投与する。発熱したらキニーネで治療した。Julius Wagner-Jaureggはこの業績によりノーベル賞を受賞するが、死亡者も多くまた研究過程で被験者から同意を得ていなかったことからのちに批判される。ちなみにマラリア熱による精神疾患(メランコリー)改善はヒポクラテスの時代から観察されていた。
†インシュリンショック療法: 空腹時にインスリンを皮下注射し、低血糖によるショック状態を惹起することで治療を行う。主に統合失調症の治療に用いられていたが、死亡例も多く1950年代にはほとんど用いられなくなった(ただしソビエトや中国では1970年代まで使用されていた)。
††カルジアゾールけいれん療法: けいれん誘発剤であるカルジアゾールを投与により統合失調症を治療する方法。当時は「てんかんと統合失調症は併発しない」という考えのもと、人工的にけいれん(てんかん)を起こすことが統合失調症に有効と考えられた。ちなみにカルジアゾールの前には樟脳により人工的にけいれんを生じさせる方法が試されていた。
‡ロボトミー療法: 脳の前頭前野の神経繊維を外科的に切断する治療法。主に統合失調症に用いられていた。しかし術後の死亡例や、後遺症としての知能低下、自発性の欠如、人格の荒廃が顕著であるため現在では行われていない。ロボトミー療法の開発によりEgas Monizはノーベル賞を受賞するが、後に「史上最悪のノーベル賞」と揶揄された。
‡‡電気ショック療法: 電気けいれん療法とも呼ぶ。頭部に経皮的通電をすることで人工的な痙攣を誘発し治療効果を得る。当初は統合失調症に用いられていたが、現代ではうつ病、躁病、緊張病などにも用いられる。名前からして危険な印象があるが禁忌はなく、死亡例も少ない(10万件あたり2-10名)。
ちなみに上記で現在も本邦の精神科領域で使用されている治療法はフェノバルビタールと電気ショック療法だけです(臭化カリウムは海外では使用されている)。
開発者の名誉(?)の為に補足いたしますが、これらの療法はいずれも精神疾患に対して一定の効果を認めました。
しかし、上記の治療法の多くは誕生から間も無く近代向精神薬の登場により歴史舞台から消え去ります。
「効果があるのになぜ消えた...?」と思うかもしれませんが、その理由は治療法の名前から見てもわかるように、かなり過激な治療法ばかりで中には治療中に死亡するケースも数多くあったためです。
とはいえ、近代向精神薬の誕生前夜は、それまでのインチキや呪(まじな)いの類ではなく、"科学的根拠がある”という点においては、精神科治療の大きな転換期であったことは間違いありません。
【近代向精神薬の誕生: ゲームチェンジャー、クロルプロマジンの登場!】
さてここから本題です!
先にも触れたように1950年代にようやく近代的向精神薬が誕生いたします。
その代表とも言える薬の名は統合失調治療薬「クロルプロマジン(chlorpromazine hydrochloride)」です。
当時は神経遮断薬などと言われましたが、その名の通り薬理作用はドパミン受容体の"遮断"であり、統合失調症の脳内で過剰に分泌されるドパミンを制御する作用を持っております。
そしてクロルプロマジンが統合失調症に有効であるが故に、統合失調症の発病メカニズムはドパミン過剰と考えられております(ドパミン過剰説)。
その薬効は目を見張るものであり、小生が医師になりたてのころ高齢の精神科医は次の様に当時を振り返っておりました...。
まさに精神医学におけるゲームチェンジャー。
そしてこのクロルプロマジン誕生にはとても興味深い背景がありますので、少し深堀してみましょう!
<麻酔薬から生まれたクロルプロマジン>
向精神薬の誕生は"1950年代"と繰り返し説明しましたが、正確に言うと19世紀末には既にクロルプロマジンの原型となる"フェノチアジン系薬剤"は合成されておりました。
フェノチアジン(phenothiazine)はチアジン(硫黄と窒素を含む6員環の化合物)の両端にベンゼン環がそれぞれ2つ縮環してできた複素環式化合物です。
1868年にCarl GraebeとCarl Liebermannらはコールタールからアリザリンと呼ばれる染料を合成しました。
このアリザリンをベースにバーデンアニリンソーダ製造社のAugust Bernthsenが染料メチレンブルーを含む数多くの化合物を生成しますが、この中にフェノチアジンも含まれていたそうです。
合成されたはよいのですが特に用途はなく、フェノチアジンは”染料の副産物”としてその後60年以上放置されます。
1939年フランスのパスツール研究所はローヌプーラン社と共同で、抗マラリア剤および駆虫剤の開発をはじめます。
その中でメチレンブルーの抗菌作用に着目したPaul Charpentier(ポール・シャルパンティエ)は、抗マラリア効果を求めてフェノチアジン系薬剤の合成に着手し、1945年に開発コードRP3277と呼ばれる薬剤の合成に成功します。
同剤には抗マラリア効果は確認できませんでしたが、副作用として強い眠気を生じたことから強力な鎮静作用をもつ薬剤であるとシャルパンティエは考えました。
RP3277はのちにプロメタジンと呼ばれる抗ヒスタミン剤・鎮静剤であり、現在でも広く使用されております(日本ではピレチア®またはヒベルナ®という商品名)。
ローヌプーラン社がフェノチアジンの中枢神経作用に注目したのはフランス軍の外科医、Henri Laborit(アンリ・ラボリ)のある発見によるものでした。
<外科医アンリ・ラボリ見参!>
フランスの外科医アンリ・ラボリ(Henri Laborit)は神経生物学者、作家、哲学者としても活躍した多才な医師でした。
1914年、ラボリはフランス領インドシナのハノイで出生しました。
父親はインドシナの植民地の軍医をしておりましたが、ラボリが6歳のときに破傷風で他界しました。
ラボリ自身も12歳のときに結核を患うなど、若い頃は大変苦労をしたようです。
その後ラボリはパリで学士を取得し、病院船で船医として2年間勤務した後、海軍の医師となります。
軍医として数多くの負傷兵の手術を行いますが、手術後のショックやストレスが原因で命を落とす患者を目の当たりにし、患者を人工冬眠させることでショックを軽減ができないかと考えるようになります。
1949年、ラボリは手術によるショック軽減を目的のため抗ヒスタミン薬プロメタジンを麻酔混合剤として使用し、鎮痛・鎮静・体温低下など人工冬眠作用を確認します。
この合剤はのちに「遮断カクテル(lytic cocktail)」」と呼ばれます。
この経験をもとにラボリはローヌプーラン社に抗ヒスタミン剤の開発を働きかけます。
1950年12月、この働きかけにローヌプーラン応じ、ローヌプーラン社のシャルパンティエは抗ヒスタミン作用のあるフェノチアジン系薬剤RP4560の合成に成功します。
そうです、RP4560こそが後にクロルプロマジンと呼ばれ薬剤だったのです。
ラボリはクロルプロマジンを麻酔の強化薬として使用したところ、患者が"多幸な平穏"を示すことに気づきます。
この観察からラボリは、「クロルプロマジンは精神病患者に使えるのでは?」と思い付きます。
<ドレイとドニケルとラスカー賞>
ラボリは友人の精神科医のJean Delay(ドレイ)とそのアシスタントのPierre Deniker(ドニケル)に「精神病患者にこの薬を投与してみなよ」と勧めます。
半信半疑ながらもドレイとドニケルはクロルプロマジンを統合失調症および躁うつ病患者に投与してみます。
すると信じられないことに、過度な鎮静なしに激越や攻撃性など著明な精神症状が改善します!
この結果をまとめ1952年彼らはフランスの医学心理学会でクロルプロマジンの効果を発表します。
しかし、ドレイとドニケルが発表した論文は統計などを持ちなかったケースレポートのようなものであり、また幻覚妄想よりも「抗うつ効果」に注目したため当初はフランス国内ではあまり注目されなかったそうです。
それでもクロルプロマジンの抗精神病作用がヨーロッパ各地で確認されると、同剤が統合失調症の第一選択薬となるのに時間はかかかりませんでした。
クロルプロマジンの開発元ローヌプラン社はいち早くその重要性を認識し、米国で特許を取得した後、その権利をスミス・クライン社に売却します。
1954年ローヌプーラン社はクロルプロマジンを「ラーガクティル」、スミス・クライン社は「ソラジン」という商品名で発売し、爆発的なヒット商品となります。
そしてこのクロルプロマジンの構造をもとに、数多くの向精神薬が雨後の筍のごとく生まれることとなります...。
ドレイとドニケルの研究成果は荒っぽいものではありましたが(academic gamesmanshipと言うそうです)、その評価については明暗が分かれます。
ドレイのアシスタントであったドニケルは、ラボリらと共に医学で最も権威のあるラスカー賞を受賞しますが、なんとドレイは受賞を逃します...。
ドレイは世界精神医学協会(WPA)の設立に尽力するなど精力的に活動しますが、1968年に反精神医学団体から弾圧を受け医学の世界から引退を余儀なくされます。
【鹿冶の考察】
今回は近代向精神薬誕生直前の話と精神医学における世紀の大発見といえるクロルプロマジン誕生について解説しました。
「近代向精神薬誕生前夜」については蛇足感がありますが、皆様に知っていただきたいのは、19世紀ごろから精神疾患が神罰や呪いの類ではなく、歴然とした「脳病」であると捉えられ、生物学的なアプローチで治療する姿勢が芽生え始めた...という点です。
それまで統合失調症は、宗教や迷信の影響から抜け出せなかったのですが、数多くの科学者たちが偏見や既成概念を打ち破ろうと必死にもがいたのが"近代向精神薬誕生前夜"なのです。
<クロルプロマジンとノーベル賞>
このようにクロルプロマジンは人類に恩恵をもたらす大発見であることは間違いありません。
小生はクロルプロマジンは「ゲームチェンジャー」と表現しましたが、そんな表現では物足りないほどで、まさに「奇跡」と呼ぶべき存在です。
しかし、不思議なことにこの世紀の大発明「クロルプロマジン」についてノーベル賞を受賞した人物はおりません。
その理由はクロルプロマジンの開発・実証研究など、いくつものプロセスの中で多くの科学者が関与したためでは...と考えられます。
要するに「クロルプロマジンの抗精神病作用を発見したのは俺だ!」と主張する者がたくさんいたからではないでしょうか?
クロルプロマジンに関わる研究者がノーベル賞を取れなかった理由として興味深いエピソードがあります。
実はノーベル財団はアンリ・ラボリにノーベル賞を与えようと考えていたそうですが、ノーベル賞選考委員であったドレイがラボリへのノーベル賞授与に強く反対したそうです。
ドレイ自身、"自分こそはノーベル賞受賞者に相応しい"と嫉妬したのかも知れませんね。
<医学三大奇跡>
最後にクロルプロマジンの発見について、米国精神薬理学の重鎮Leo Holister(1920-2000)の言葉を紹介して本note記事を閉じたいと思います。
【まとめ】
【参考文献】
1.Fifty years chlorpromazine: a historical perspective. Ban TA, Neuropsychiatr Dis Treat, 2007
2.精神医学歴史辞典. エドワード・ショーター. みすず書房, 2016
3.抗うつ薬の時代. デーヴィッド・ヒーリー. 星和書店, 2004
4.ヒーリー精神科治療薬ガイド. デーヴィッド・ヒーリー.みすず書房, 2009
5.wikipedia: Henri Laborit
6.wikipedia: Pierre Deniker