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A Day in East Harlem ~ グラフィティアーティスト逮捕!その時私は… (3 完結篇) (2005.06.29)

ふと気が付くと、我々の周りに、なんだどうしたんだとばかりに警官達が集まり始めていた。私はマイケルにもう少し粘っておいてくれるよう頼み、上司に一報を入れることにした。署内の公衆電話から、現地法人ニューヨーク支社の副社長を呼び出す。

このPSA(*注)は決して広くない。私のいる電話ブースと、マイケルを中心とした人集りとの間を、明らかに麻薬中毒者と思われる白人の男が喚き散らしながら、ふたりの屈強な警官に引き摺られて行く。

やがて上司が電話口に出た。私は事の次第を、まず客観的事実から報告し、最後に「取材先の被る不利益を最小限にする為に、組織としての助力が欲しい」という旨の私見を付け加えた。黙って聞いていたその上司は、こう言った。「状況はよくわかった。わかったけれど・・・こちら側として出来ることがあるのかね?保釈金を支払うとか、そういうこと?」「そうです。それ以上に望ましいのは…」と私は応える。「…彼が裁判を受けずに済むようにすることです。容疑は軽犯罪だし、潔白は明らかですし、日本大使館から司法当局に一本電話を入れてもらうだけで、処遇は変わると思うのですが。」「うーん」と、上司が口籠る。「外務省を動かすのは、ちょっとなぁ…。」

この副社長は元来、決して話の分からない人物では無い。が、「さしあたって、動きようが無い」が彼の結論であり、私はその結論に対して、特に落胆も憤慨もしなかった。上司なんて、そんなものだ。現状を即座に打開する方策を、彼に求めていたわけでも無い。とにかく私は、行うべき報告を行い、言うべき意見を言った。プロジェクト関係各所への報告を上司は請け合い、私は電話を切った。

警官の輪の中に戻ってみると、マイケルはまだ押し問答を続けていた。が、依然として話に進展は無い。「逮捕するほどの事じゃないでしょ」「いや、逮捕しないわけにいかない。この4月から、そうなったんだ」「何とかなりませんか」「どうにもならんね」等のやりとりを、私はしばらく聞いていた。と、マイケルは私に気付き、ひとりの女性警官を紹介しながら、こう言った。「このオフィサーが、ドウズを逮捕したんだって。」私よりも小柄なその巡査は私を見て、「ハーイ」と言った。挨拶を返しながら私は意外に思ったが、考えてみれば、大柄な白人男性警察官をイメージするに正当な根拠は無いはずだった。

私はマイケルの肩を叩きながら、最初の受付担当警官に向かって、こう言った。「わかりました。確かにあなた方は正しい。逮捕は正当です。それに同意します。裁判がどうしても避けられないのなら、それも受け入れざるを得ません。」受付担当警官の表情に、安堵が見えた。「しかしながら…」私は、集まっている警官達を見渡しながら、続けた。「ドウズ、いやジェフ・グリーンが、100%善意の協力者であった事も、理解してもらえるでしょう?」警官達の何人かが、少し頷いたような気がした。「そんな彼の為に、我々が今、出来る事は何でしょう?するべき事は何でしょう?ジェフの潔白が証明されても、逮捕歴が残る。彼が将来、本当に重大なトラブルに巻き込まれた時、今回の逮捕歴が、彼の不利に働かないと、誰が言い切れるでしょう?そうならない為に、我々は何をすればよいのでしょう?何も出来ないのでしょうか?」

警官達は、考えてくれているようだった。私は黙って、誰かの返答を待った。すると、先ほどの女性警官が、こう言った。「わたしにアイディアがある。わたしが出廷しなければいい。」

「そんなことが、可能なんですか?!」私とマイケルはびっくりして、同時に訊ねた。「可能よ。ジェフリー・グリーンを逮捕したわたしが法廷に立たなければ、逮捕の事実さえも証拠不十分となって、逮捕記録も残らないの。」警官達が、そうだ、その手は使える、と口々に言う。「もちろん、グリーン氏には出廷してもらわなければならないし、あなた方のどちらかには、証言台に立ってもらうことになるけど。」愛すべき彼女は少し微笑んで、続けた。「わたしは忙しいの。仕事が減るのはありがたいわ。」どうやらこれが最善の落とし所であることは、マイケルも察したようだった。私とマイケルは、彼女と握手をし、「ありがとう」と言った。

我々の為を思ってくれた警官は、他にもいたようだ。マイケルが出廷までの段取りの詳細を訊ね終わった頃、ドウズが、警官に付き添われて、出て来た。その腕に手錠は見当たらない。「住所を確認して出廷の誓約書を取りましたので、釈放します。」ドウズの表情は、拍子抜けするほど平静だった。「大丈夫だった?」「ああ、大丈夫だよ。あんた達が拾いに来てくれる事を、信じてたさ。」私は時計を見た。5時15分。ドウズにとってどうかは判らないが、少なくとも私にとっては、それまでの人生で最も長い2時間20分だった。

警官達にあらためてお礼を言い、我々3人は、ヴァンに乗り込んだ。私はドウズに言った。「面倒に巻き込んでしまって、本当に済まなかった。僕らがもっと早く到着していれば…」「問題ないよ。気にするな。俺にも落ち度はあった。こんな服を着てたからね。」ドウズはニヤリとし、上着の前を開いて自分の胸を指差した。彼が着ていたスウェットシャツには、鮮やかな文字で、こう書かれていた ──

COPS SUCK

私は俯いて首を左右に振りながら、込み上げてくる笑いを押さえる事が出来なかった。

(了)


*注:PSA:
Police Service Area の略。HAPDにおける分署。NYPDで言うところの Precinct に当る。

(2005.06.29)


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