気持ちを「守る」か「切らさない」か

 ストレスの多い今の社会において、メンタルコントロールは喫緊の課題である。生きていくことをどこかで諦めてしまったり、そこまでではないにせよ社会と関われなくなったり、自分を見失ったり。心の状態によってはそんなふうに、私達は良くない結果をその身に引き起こしてしまう。
 だから、私達は「メンタルを鍛えよ」とお題目のように言われてきたし、そう思ってきた。そしてメンタルを鍛えるために色々なやり方を試し、実際に鍛えられているような人々を尊敬する。メンタルをムキムキにするために、そうでないことは弱い人間で、悪いことだから。

 だが、メンタルを鍛えるというのは文字通りの意味ではない。それは打てば固くなるものでも、量が増えるものでも、攻撃力が高くなるものでもなんでもない。結局のところ、私達の気持ちというものは不変だ。だから鍛えられたとしても、それは気分の問題でしかない。
 もし、メンタルを鍛えるということが可能であるのなら、その結果は私達の気持ちを守ること切らさないことである。メンタルそのものをムキムキにするのではなく、というかそんなことはできないのだから。他の部分を固くしたり強くしたりするしかない。
 守るための盾を構築したり、それを鍛え上げることはできる。気持ちを切らさないためにエネルギーを補充し続けることもできる。

 だから、メンタルとは、気持ちとは、実際にそれそのものを鍛えられるようなものではない。しかし気持ちを守ったり切らさないようにすることは可能となれば話は別だ。そのような正しいと方向性でもって、私達はメンタルを鍛えるというお題目を唱え、そして実行していく。
 ストレスの多い現代社会において、それこそが真に鍛えるということである。

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