この今の、「正義」の行く末は
正義は語り得ぬものとなってきた。
それは想像に難く、実現も困難で、しかも、何がそうなのかそもそも分からない。現代で認められた多様な価値観は正義を混在化し、ほぼ「個性」と等しいものとして扱うことで矮小化した。
即ち正義とは語り得ぬものとなった。あるいはそれは化石である。それぞれの中に埋まる、発掘されない化石。掘り当てられるかは分からない。掘り当てたところで価値は見いだせない。そうなるべき状況とそうなるべき時に初めて、正義は正義となる。
直ちに何かを癒すものではなく、餓えがしのげるわけではなく、身を守ってくれるものとは限らない。
正義は軽んじられている。
それが求められることはいよいよ少ない。無駄だとさえ思われてしまうくらいだ。それほどに正義は何もしない。掲げられ、唱えられ、讃えられ、しかし、生活を変えてはくれない。
誰もがそう思うようになったら、正義は終わりだ。「何の意味があるの?」そのとおり。意味とは見出すことによって生ずる。ならば「語り得ぬもの」となった正義の意味を、私たちはどうして掘り当てることができるのだろうか。
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