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理解力がないと嘆く前に

 他人に染まってしまうのが恐いので、私達は誰かの言うことを信じない。それは理解力がないからではなく、むしろわかっているからこそ、それ以上の理解を拒むということだ。

 何もかも構わずその身に引き受けてしまったら、私達は自分を保てなくなってしまう。あらゆる価値観に同意していたら、私達は自らの価値観を見失う。だから基本的には信じないのである。
 誰かの言うことを、そうであるとはっきりしていることを。それはコントロールされた情報として自然により分け、理解するのに慎重になる。そのために私達は他人のことを、そしてその所有するものを信じない。
 できないのではなく、しないのだ。どんな人間でも備えているある種のセンサーによって、私達はわからないふりをする。
 そして一度信じてしまえばガードは甘くなる。それが怖いのである。それゆえに最初の門は重く開きにくい。

 人間同士で理解できないことなど稀だからこそ、本当は理解できてしまう。しかしそうやすやすと真に受けてしまったら、自分が保てなくなる。
 だから私達はまず必ず、他人の言説やその説明を拒むようになっているのである。

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