偉大な人物たちを非難する人類の堕落に

 偉人は凡人よりも非難の声を多く受ける。何か偉大なことを成し遂げた人は、全く何も成し遂げない無名よりも確実に悪し様に言われることになる。もちろん同じくらい、偉人はその偉業を称えられるだろう。
 しかし偉人は確実に、無名の人々よりもずっと多くの悪評をその身に受けることになる。

 なぜなら第一に、至極単純に目立つからだ。何も成し遂げていない人よりも、何かを成し遂げた人は、他人の耳目にさらされて評価を受ける。その対象になるということが、大きな違いなのである。
 そしてまた第二に、物事とは例外なく良い面と悪い面を見ることができる。ある人がとんでもない偉業を成し遂げたとて、それは見方によっては悪しき解釈も可能なのだ。その意見を止めることはできない。事実かどうか、どれくらい確かかどうかは関係がなく、そう思えるというだけで、その偉業への評価として数えられてしまう。
 加えて第三に、偉業は嫉妬の対象になる。だからそもそも、悪意を向けられやすい。その偉業が大きければ大きいほど、くだらない憎悪と嫉妬と負の念を向けられやすくなる。するとそこには、良くない評価と意見が発生する。

 これら三つの主な理由によって、偉業を成し遂げた人は、そうでない人よりも非難の声を多く受けることになる。しかしもちろん、割合で見れば少数だ。もちろん、1000の称賛に1の非難がある程度の。
 だが私達は褒められているものよりも、非難を受けているものの方が印象に残ってしまう心理を持っている。だからそのマイナスの評価は、実態よりも何倍も多く感じてしまいがちだ。
 そして偉業を成し遂げることはすごいことのはずなのに、そのマイナスが多く見えることによって萎縮してしまう。その本当のすごさが見過ごされてしまう。

 危機感を持つべきだ。正しい目を持たねばならない。視界の曇りとは、悪意への印象だ。それは少数派の意見なのである。あるいは間違った風潮なのである。
 偉業への非難は、偉業のすごさを表しているにすぎない。それを間違えてしまえば、人間はもはや誰も偉業など成し遂げられなくなってしまう。
 堕落した生命に、未来はない。

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