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人は人の心の過程を知らない。知ろうともしない

 自分の心の中の「過程」に気が付けることは、とてもとても数少ないことである。それができるほどに人間は自分のことをよく見られていないし、また、自分のことをよく知っているのだと慢心している。
 人が「思い」を口にするとは、大きく分けて5つに分かれる。

①刺激によって思いが生まれる
②それを醸成する
③それを外に出そうと思う
④外に出すために成形する
⑤言葉として発する

 この中で、人が意識できるのはせいぜい①と⑤のみである。間の部分はなんとなくやっているし、多くの場合無意識だ。でも、5つのプロセスのうち3つも「なんとなく」でやってしまっているのは、人間が自らの思いをあまり理解していない証拠となる。
 私たちはただ、なんとなく思い、そしてそれを言葉に出してしまう。でもその過程はある。問題なのは意識していないことだ。意識していないということはコントロールできないということである。いつまでも。意識していれば、どこかで間違いに気づくことができる。そのチャンスが多いのだ。
 人は心の過程に気づけないのは、気づこうとしていないからである。そんなこと、思いもしない。まさか自らの思いが、生まれた後に様々な力を加えられて言葉として出てくるものだとは。
 思いはただ生まれるものではない。そしてただ誰かに伝えられるものでもない。

 そうなるために、思いは流転するのである。そしてその過程において私たちは、自分自身の新たな思いや意志や心の動きを起こしている。それくらい複雑なものなのだと、自らを、そして他者を含めた人間を「思う」ことが肝要である。
 そうしなければ私たちは、自分自身すらコントロールできないままで終わる。

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