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読書会レポート 『鮨』 岡本かの子
半実録Bゼミ読書会レポート:高野哲夫
Bゼミは、詩人正津勉主宰で、およそ30年間、月1度継続している自由参加の読書会です。
当初は高田馬場界隈で会場を借りて実施されていましたが、2020年コロナ期より、毎月最終金曜日の夜に、リモートで実施。正津勉の博識体験と自由な指導により様々な作品から、時代や民俗の読解、参加者の率直な感想が聴ける貴重な機会になっています。
半実録第5回
課題 岡本かの子『鮨』
2024年8月30日(金)6:30~8:15 参加9人
岡本かの子(1889年明治22年~3月1日〜1939年昭和14年2月18日 49歳没)
大正・昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。
東京府東京市赤坂区青山南町(現東京都港区青山)生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。
若年期は歌人として活動しており、その後は仏教研究家として知られた。小説家として実質的にデビューしたのは晩年で、創作期間はわずか3年(1936~1939)だった。
生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。
耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」(自分の公認のもとで、妻の愛人を家族と同居させるという奇妙な夫婦生活)を送ったことで知られる。
パリに残した太郎への愛を、ナルシシズムに支えられた母と子の姿で描いた『母子叙情』、自由と虚無感を描き、当時の批評家に絶賛された『老妓抄』、女性が主体となって生きる姿を、諸行無常の流転を描いて確立させた『生々流転』などは代表作となった。
1939年(昭和14年)、油壷の宿に滞在中に脳溢血で倒れた。享年49歳。
『かの子撩乱』は瀬戸内晴美による岡本かの子の伝記小説。姉妹編に「かの子撩乱その後」がある。
『鮨』あらすじ
下町と山の手の境目あたりの街にある福ずしの一人娘ともよは、父の店を手伝っている。
店の常連客の一人に湊という50歳過ぎの男がいる。紳士風の装いやふるまいから店では先生と呼ばれ、他の客からも一目置かれる存在になっている。ともよもそんな湊を最初は「窮屈な」客と思っていたが、次第に気になる存在になる。
湊の鮨の食べ方は決まっていて、中トロから始まり、だんだんとあっさりした青魚に進み、玉子と海苔巻きに終わる。
ある日、父親の趣味であるカジカを買いに行った折に、湊に出会い、空き地で話をする。そこで湊の少年時代からこれまでの回想話を聞く。
拒食症だった少年が、母親が握った鮨を食べ、何でも食べられるようになり、その後少年は見違えるほど健康になる。高等教育を受けるが、家は破産し、両親、兄弟も皆亡くなる。
勤め先ではそれなりに認められたが、二度目の妻を亡くし、50歳近くになったときに投機でかなり儲け、仕事をやめ、一か所にとどまらない気ままな生活を始めた。
鮨を食べるということは湊にとって「母親のことを思い出し、鮨まで懐かしくなる」。湊はともよにこの話をしてから、店に来なくなる。
正津 好きな作品の一つ。何度も読んでいる。今回読んでますます好きになった。前回の河野多恵子『骨の肉』に比べると穏やかな作品。(ストーリ概要を説明)男女の間に食べ物(今回は寿司)を置くのはうまいやり方。
木津 青空文庫で読んだ。いい作品なので変なことは言えないが、非常によく纏まっている。老練な、語彙が豊富。円熟の作品。寿司が食べたくなる。湊が身の上話をする場面は現実的ではないが、小説ならではのトリックと捉えれば理解しやすい。晩年でないとこういう円熟した作品は書けないだろうと感じた。
高野 かの子の短編は、かの子の生き方らしい「気っぷのいい書き方」をしている。一方小説の手法としては湊がともよに鮨を食べるようになった少年時代の回想を話す場面は、ちょっと不自然で、設定に無理があるように感じた。ただ、湊はともよに昔話をしたから福ずしに来なくなったのではなく、湊がすでに引っ越し決断をしており、置き土産に少年時代の思い出話を、ともよに残していったと考えれば、理解しやすい。湊は生きていく上で、何事にも「こだわり」を持つことを恐れたのではないか。そのために常住の地を持たず、引っ越しを繰り返していた。
副島 青空文庫で読んだが、青空文庫を使ったのは初めての経験。気軽に読み始めたら、意外に難しい作品だった。鮨は時代によってその位置に差がある。湊の母親の手の描写が細かい。若さゆえか。
谷口 描写の丁寧さが面白かった。とくに寿司の細かな描写が良い。
篠原 周囲の人間に心を許している関係が見られない。ともよと湊は共に孤独だがその背景は異なる。湊の流れに任せる脱力の人生⇔ともよの若さとの対比。
ミチコ 青空文庫で読んだ。福ずしの客層は当時の平均より少し高い年収の人達だと感じた。ともよへの湊の身の上話は、置き土産だと考えれば不自然ではないと思う。身の上話をしてからすぐに店に来なくなったが、もし2,3度店に通ってから来なくなったとしたら、その方が自然ではない。
原田 寿司屋の娘の淡い恋話だと思っていたら、中年男の湊の身の上話だった。湊の母親=明治、大正時代の女性はこういう風だったのだろうと思う。湊は潔癖症。昔のことにこだわりすぎる生き方。どこかで区切りをつけたかったのだろう。若い娘に身の上話をしたことで区切りがついた。ゴーストフィッシュをともよに与えたことはその象徴。ゴーストフィッシュ(髑髏魚)の名は実物の魚とちょっとイメージが合わない。グラスフィッシュあたりがいいのでは。
正津 拒食症をまっとうに扱った作品にびっくりした。
木津 かの子自身の幼少期の経験が作品に取り入れられているのではないか。
武井 何でもおいしく食べるので、拒食症が理解できなかった。参加者皆さんの意見を聞いてみたかった。
ミチコ 夫が子供の頃、小児喘息で拒食症気味で、一度美味しいと言うと同じものが三日続けて食卓に出てきたと言っていた。大学時代からようやく食べ物のおいしさがわかるようになった。
木津 当時の寿司屋に冷蔵庫はあったか。
正津 氷を使っていた。氷(製氷)は一大産業だった。実家の酒屋でも氷を使っていた。
原田 少年時代の湊のイメージが拒食症に繋がった。母親以外の人が手を触れたものを食べない。潔癖すぎる性格が拒食症に繋がっていた。
正津 この時代にはカフェ文化(食堂、飲み屋も含め)があり、庶民がしばしば顔をだす場所だった。カフェで男と女が結びつく例は多い。それを寿司屋に置き換えて男(湊)と女(ともよ)が出会う話の構想を、かの子はずっと練っていたのだろう。逆にいうとそういうカフェ的な場所しか男女が出会う場はなかったとも言える。
木津 かの子の幼少期の生い立ちがこの作品に生かされているのだろう。
正津 かの子はスキャンダラス、男性遍歴はデタラメ。最後は仏にすがった。夫の一平(ダダイスト)も変わった人間だった。
木津 デタラメが本気になった時に、こういうすごい作品になったのだろう。
ミチコ かの子の代表作は?
正津 『老妓抄』『鮨』など、短編がほとんど。この一編というものはない。
木津 以前、ネコを飼っていたとき病気になり2万円の薬を使っても効き目がなかったのにイワシを焼いて食わせたら元気になった。人間にも通じるものがある。
正津 「イワシの頭も信心から」。いずれにせよ『鮨』は短編だがよく出来ている。男女の間に食べ物を置くと書きやすい。
谷口 かの子には太郎への手紙の作品があるが(『巴里のむす子へ』か?)いい母親を演じている。
正津 太郎はパリ留学中に人類学の学者などとも付き合いがあり、戦後早い時期に沖縄に滞在し『沖縄文化論』を書いている。
以上
今後の作品テーマ:3本立て
女性作品
土地もの
災害小説
*次回作品:円地文子『妖』 2024年9月27日(金)PM6:30~
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