夏の思い出~花火~
ひょろひょろ光が縦にのぼっていって、スパッと開く。
ドーン!
近いからすぐ音が鳴って、ちょっとホッとするのは大人になってから。
以前は「ドーン!」の音が怖かった。中でも、光ってから鳴るまでほんの少しある時間が一番怖かった。その間の緊張たるや。ギュッと首に力が入る。短い間のドキドキが苦痛。
たかだかこんなことに怖がるのは、どうやら特性かららしいのだけど、40過ぎるまでそんなの知らなかったから。
大人になってからは、見る時のコツのようなものをつかんでいってだいぶ慣れた。待つ間のドキドキを抑えるようにして、ドーン! とお腹に響く音の大きさに覚悟しておく。そして色の美しさに集中するように見る。
手持ち花火も、大きいものは高校生くらいでようやく克服できたんじゃなかったかな。火がついたと気づいてから、予想以上に急にシャー! って大きく飛び散ってびっくりしちゃうから怖くて。
線香花火の中でも一番小さな物を率先して持った。
最初からずーっと小さいままで安心。
その火を眺めているだけで心が深く満たされる。
暗がりの中で見ているオレンジの光は、黒い画用紙に描かれるように、くっきり強い。シュッシュと細い花びらみたいに四方八方放たれる。
そのうち光の小さな線がぴょんぴょん飛び始めたかと思うと、いっしゅん静かになる。
中心の丸が小さくてもぐるぐるふるえ、こもった熱を感じると、あの大きな花火みたいな光が手元にパンと広がり始める。
真ん中の丸からほんの少し離れたところでも、バサバサちっちゃな花火が飛ぶ。手の中におさまりそうな、かれんな火の花が盛んに咲くのを大切に眺めていると、その世界の中に吸い込まれてしまう。
少しずつちっちゃな花火が減ってきて、読点みたいな火がひゅんひゅん名残惜しそうに、おまけのように飛んでくれる。
そして、ふるえる丸がぐぐぐと最後の力をふり絞って、ぼとと落ちる。
ああーー全部、ずっと愛おしかったのに!
終わっちゃった。
と、また線香花火を持つ。
大きな花火が平気な従妹がうらやましかった。
年の近い従妹たちに「かせみちゃん、花火怖いの?」と鼻で笑われるのがイヤで、我慢して大きな花火を、従妹の家族と並んで見た。最初から耳ふさいでおきたい両腕を身体の横に垂らし、踏ん張って立ちつくすのは、いつも少し疲れて憂うつだった。
息子が幼いころ、大きな花火を見てそれほど喜びもしなかったけど、全然怖がらないのを見てホッとした。
大きめの手持ち花火も楽しんでくれた。水の入ったバケツを近くに置き花火を始めると、歓声上げながら楽しむ。お店で花火セットを見ると「またやろうか」と盛り上がる。
私とは少し気質がちがうんだ。きっとこれからも私とはちがった心の体験をするのだろう。
これからの息子を思い浮かべて、花火を見る息子をまぶしく見つめた。
幼い息子の横顔も、夏の思い出の風景。