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気ままに過ごして、身体も心も休めたい

 旅のスタイルみたいなものは、回数を重ねていくうちに、何となく決まってくるはず。
 私にもこだわりはあるのだろうか。

 皆の旅行記を読むにつけ、楽しみ方は様々で、どれも楽しそうなのはまちがいない。わざわざ書いているくらいだから、気分が良くなったり楽しかったり、何かしら気持ちが動いたんだよね。旅先の写真を見るのも含めて、そんな記事を読むのは私にとっても楽しい。

 中でも「こんな旅行がしたい!」とわざわざ夫に話して聞かせた旅があった。
 それは自分の旅行に似ていてちょっとちがう。いや以前はこんな旅をした経験があったはずだ。何故これを今「良いなあ」と思ってしまうのだろうか。自分の今までの旅行に思いをはせてみる。


 自分のための旅行をしようと自分で計画し動いたのは、大学生の頃。幼少期住んだニュージャージーにしばらく滞在したくて。
 懐かしさを味わいたいというよりは、自分を取り戻したい気持ちが強かった。現地で会う親友との日々も楽しみにしていた。彼女は中学入学直後に知り合った友達。幼少期に近い場所で暮らしていたらしく、でも当時はお互いに認識していなかった。彼女は大学に入って間もなく大学生活をやめてニュージャージーの大学に入り直していた。
 彼女の案内はある程度ありつつ、私は自分が過去にどこで暮らしていたか記憶を頼りにたどり着き、どんな生活をしていたかを振り返った。どこのスーパーに行き、どんな建物の小学校に通っていたか、道や風景を覚えていて、そこをたどった。
 彼女の観光案内も楽しく、お目当てのジャンクフードを懐かしんだ。毎日、懐かしさと喜びに満ちていたけど、一番楽しかったのは夏休みだった彼女の、日常生活に沿って日々過ごしたことだった。彼女の行きつけのスーパーに行き、アパートに戻ってテレビを一緒に観たり、そこで飲食を共にしたり。

 それからも時々旅行を重ね、次に印象に残った旅は、20代半ばに、夫とディズニーワールドに新婚旅行として行った旅。

 ニュージャージーで暮らしていた幼少期、父がよく旅行に連れて行ってくれた。父の旅行はなかなかに用意周到だった。
 どこに行くか、何を観るか。毎日予定がびっしりある。子供だった私はただ連れられて景色を見るだけで、何故それを見るのかよくわかっていなかったけど、意外と風景は脳裏に焼き付いているもので思い出となっている。

 だけどディズニーワールドに行こうと決まってから、夫は何かを決めるわけではなかった。
 現地から少し遠くても安いホテルを決めて、どのテーマパークに行こうか決めると、夫はレンタカーの手配をしたくらいだった。
 テーマパークは楽しんだけど、絶対に乗るアトラクションを決めていたわけでもなくて、その時の気分と混み具合、空き具合で決めた。

 20後半で夫とアメリカ大陸を横断しながら帰国した時もそんな気楽な旅。

 西海岸から日本への飛行機の航空便は予約していたから、それまでに間に合うべく住んでいた東海岸から西へ西へとドライブした。午前中から夫が3時間、私が2時間、そしてまた夫が3時間。
 淡々と運転し、だいたい4時か5時くらいに今夜の宿を決める。あと1~2時間くらいだとどの辺りに到着するか予測できるので、当時は旅行の本から部屋の料金を調べ、その日のホテルを決める。「Do you have a vacancy tonight?」とドキドキしながら電話をした記憶が何度かあるのだけど、携帯電話を持っていなかったので、公衆電話だったのだろうか。だいたいが飛び込みだったと夫は話しているので、一度だけそうやって公衆電話から電話をして聞いたのかな。もう一度はホテルの部屋から最終地点のサンフランシスコの部屋を取ったのかな。ああもうよく覚えていないものだなあ。
 いずれにしてもその日のホテルに目星をつけるのは当日なのだった。
 5日後にたどり着いたサンフランシスコでは、ようやくちゃんとしたレストランで、美味しいシーフードにありつけた。

 思えば私たち夫婦の旅行は、それらに象徴されているようだ。

 行く先を決める。さすがに普段は宿泊先を決めて予約もするけど、あとは気分次第でそこに向かう道中を楽しむ。乗り物自体を。風景や会話や考え事を。
 着いたら休む。
 日常から離れることが旅行の醍醐味だとばかりに、とにかく休む。
 食事は夫か私の強い希望があればそちらに従う。できれば現地特有の美味しい料理を。
 朝は寝坊する。これは年齢を重ねてきて「必ず」ではなくなってしまったけど。

 こだわりがないように見えるかもしれないけれど、欲張らないのが強いこだわりな気がする。
 二人ともとにかく休みたいのだ。

 旅なのだと理由をつけて少し遠出するだけで、日常からは離れられる。
 家事や仕事から解放されるのが私たち夫婦にとっての旅の醍醐味。
 そもそも、夫も私もお互いの両親の家が遠くて、帰省するだけで相当な出費なので、旅行にお金をかけられない。隣県のホテルに泊まりに行くくらいしかできないのだ。
 子供ができてからの旅行も近くをうろちょろすること多々。それでも私たちは日常から離れたかった。
 いつもとちがうだけで、夫も私も心に余裕がある。何もしない時間、何もできない時間がうれしくてならない。
 宿泊先で身体が少し休まると、美味しいものでも食べに行こうかと調べ始める。

 そんな風に私たち夫婦の旅は、できるだけ前もって決めない。
 宿泊所と、どうしても果たしたい目的を最小限にとどめる。飲食店も1泊につき1カ所程度。
 現地に着いてゆったりした時間を過ごしながら、「ここはどうだろう」「あそこは」と話しながら決めていく。
 日々「あれしなきゃこれしなきゃ」と追い立てられている気持ちになってしまっているからだろうか。一番の目的「日常から離れて休む」を果たせたらそれで良い。
 それ以外の「ここなんだろう」「そこ寄ってみようか」からの発見は、サプライズ的な要素と楽しさに満ちている。

 昨年の今ごろに書いた記事。

 福岡に行った時の私は身体が絶不調で、ほとんどをホテルの部屋で過ごすことになってしまった。それでもnote仲間から教えてもらった美味しいお店に行ったり、体調を整えるためのグッズを買いに出たり。
 動けないつらさはあったけど、いつもの旅行とそれほど変わらなかったのかもしれないと振り返る。
 今となっては良い思い出。体調が悪いのは勘弁してほしいけど、よく休み、美味しい物を食べて、その街の風景を味わうのが私たちの旅行の楽しみ方。

 ただ金銭的、時間的に余裕があれば、本当は何回かに一回くらいは観光する場所を決めて行きたい。
 家族で栃木の日光東照宮や金沢のお寺に行ったことや、北海道の支笏湖のまわりを早朝に散歩し少し珍しい野鳥を見たことは、かなり特別な良い思い出として記憶の中に在る。
 あの時の思い出が、「こんな旅がしたい!」と人の旅行記を見てわざわざ夫に聞かせることになったのだろう。ほとんど気ままで、「休む」を目的としていながら、一か所だけじっくり観光したものだった。
 少し珍しいものを見て心を動かし、余裕も感じられる心休まる旅。

 私たちもまたそんな旅行がしたいなー!




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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。