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一人ひとりの個性と、「表現」を愛したくなる【ストーリー・オブ・マイライフ / わたしの若草物語】
40年くらい前の話だ。学校から帰ってくると、ベッドに本が積まれていた。
「なあに? これ」と母に聞くと
「推薦図書に載ってた本を適当に買ってきた。好みがわからないから、かせみの読みたいのを読んで」と言う。
それまで本が嫌いなわけではなく、好きな本を繰り返し読んでいたし漫画も好きだったけど、小学3年生の頃は停滞気味だった。
そこへ本の山。あまり押しつけがましく感じなくて、ランドセルを下ろしたら、楽しそうな表紙のものを一冊、手に取ってみた。そしてそのまま、そこにあった7冊くらいを一気に全部読んだ。
あれが、読書にハマった始まりだった。その後25年くらいで止まってしまったけど。
身体が丈夫じゃない私は、よく学校を休む羽目になったので、その後は家にあった「シートン動物記」や「世界文学全集」を読みあさり、もっと読みたいから本屋さんに連れて行ってと母にお願いした。そんなに度々なわけではなかったけれど本屋に行ってほしいのがあれば、一冊選んで買ってもらえた。
その中に「若草物語」があった。
その後、映画になったり、小学生向けでなくもっと細やかな翻訳本があると知ったりしたけど、手をつけることはなかった。
今回、「ストーリー・オブ・マイライフ / わたしの若草物語」が良いらしいよと夫に聞き、必死に40年くらい前の記憶をたぐり寄せていた。
……いやあ。思い出せないなあ。
記憶に蘇ってきたのは、表紙の挿し絵で、その「若草物語」までたどり着いた経緯。内容で覚えているのは、私は確かべスに当てはまるようなタイプだった。身体が弱くてみんなに心配かけちゃうんだよなあって思った。けっきょく私ってこうだよね。とか、今の時代で医療が発達していて良かったとか小学生ながらに思った。
そして、確か次女のジョーに憧れていた。
それくらいだったかな。
あとは……何か起きたっけ。
*ネタバレあります
後で調べてみると、「若草物語」と「続 若草物語」を上手にまとめてある映画だった。
南北戦争、当時の男女の役割や差別、黒人の差別、各家庭の貧富の差、など、様々な問題があった。当時の時代背景にしても、今の時代に通じるものがたくさんある。むしろ未解決なものが、まだこんなにも長い間続いていると感じさせられる。
女性が生きづらい時代に、たくましく生き抜く次女ジョーが、今の時代の女性像に合っていて、共感を得られるのかなと思いながら観ていた。
でも四人が四人、それぞれの幸せを求めつつ、どの生き方も、他人が決めるものではないのだなあと思わせてくれた。その生き方も、幸せかどうかも、自分が決めるのだ。
個人の個性が生かされた描き方でもあったけれど、それを互いに認め合おうと努力している様子が、私には印象的だった。そして姉妹がそんな風でいられるのが、母親のおかげだとも。
しっかりもので「自分の思い描く家庭」を愛するメグ。自由な考え方でハッキリ物を言うジョー。皆の様子を見ながら自分を受け入れ、皆を受け止めたいべス。姉たちとは違う人生を歩みたいエイミー。
この映画では、主にジョーからの視線で家族や周りの出来事が描かれている。
映画を観ながら、やっぱり私ってこの中で言えば、べスみたいなんだなと思った。
特に何か強い個性があるわけでなく、皆の受け皿になりたいけれど、身体も弱くてエネルギーが全体的に少なくて受け止めきれていない。
でも彼女は周りの人の良い部分を、きっとわかっている。受け皿になりたい気持ちと裏腹に、あまりできないけれど、それでも、それぞれの個性や良さを深く理解しているだろう。
そしてジョーと仲が良いのもとてもわかる。私もやっぱりジョーが好き。たとえ今回の映画の主人公じゃなくても。
思い出したのだ。髪の毛を切った場面。自由でやんちゃで元気の良いところ。本当は臆病で、思いやりにもあふれているところ。
ジョーの弱さは、なかなか自分の弱い部分を認めないところだった。強がるあまり、自分の心の声が聞こえなかった。
ローリーへの思いを考えないようにし、フレデリックの誠意に反発し、べスの「死を覚悟した言葉」を拒否する。
大切なものを失って初めて、自分の寂しさに気が付き、母親に訴える。
「私は自分一人で自由に生きていくと思っていた。でも何故だかとっても寂しい」と泣きながら話すシーンに、胸が詰まる。
そして寂しさを誰かで埋めようとするジョーに「それは愛ではないのよ」と諭す母親は、ジョーのすべてに気づいているようだった。
このお母さんは、夫が従軍牧師でありながら自分や娘たちに正直であった。これがジョーの救いにもなっている。
ジョーは、ベスに捧ぐべく、自叙伝を書き始める。
ここでさらに、心をつかまれた。
文章だけでない。何かを創り出し表現しようとした経験のある人なら誰しも、心を動かされる言葉がたくさん出てくる。
自分の表現に葛藤を持ったことがある人たちに対して、このストーリーは優しさに溢れている。人にウケるための物を書くのではない。退屈かもしれなくても、人が見たことがないものを。自分の信じるものを。「自分らしい」ものを。
「大衆ウケするために、自分の信念や自分らしさを曲げないで」ってメッセージが響く。
ただ、周りが何故そのようにアドバイスするのか、お金を稼ぎたいジョー自身は、なかなか気づかない。
でも姉妹も両親も伯母も、ローリーもそしてフレデリックも、すべての人がジョーの「そのまま」を愛した。
「がさつで野暮ったくて」口が悪くて、自由で時代に合っていない。と自分ではそう思うかもしれなくても。
強かって見せても、激しくて元気な面もあっても、本当は寂しさを抱え、穏やかな感性も持ったジョーを、皆が愛していた。
自分自身の本当の姿、本当の気持ちに気づいた時が、皆の自分への思いに気づいた時。
家族、友人、愛する人、本当の自分、信念、個性、表現。それぞれが何なのか。この中に、そのすべての普遍的なものが詰まっていた。
この映画を観ながら、私は10歳の頃に読んだ記憶、読んだ時の気持ちや、当時の自分までよみがえってきた。夫と二人で、あれやこれや感想を話しながらの帰り道が、いつも以上に穏やかで心地よかった。
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