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親子のこと

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親のこと、子供のこと、その関係についての考察や自分の思い出話、などなど家族に関することなら何でも ※映画の感想については含めません
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「ありがとう」「ごめんね」を交わすだけでうれしい

 レストランや喫茶店に入って、会計時に「こちそうさまでした」って、いつから言えるようになったっけ。  私が言えるようになったのは、社会人になってからだったんじゃないかな。若い時は何となく、自分がそんなこと言える立場じゃないんだとか思いこんで恥ずかしかったような記憶がある。  息子が大学生になって間もない頃に「ぼく、食べ終わってごちそうさまでしたって店の人に言えるようになったんだ」と教えてくれて。自分の当時を振り返ってみたけど……。いやあ大学生の頃はまだ言えなかったなあ。

幼いころの独特の言い回しが可愛い

 こちらは朝晩が寒くなってきて、布団をもう一枚かけたい人はかけてねと準備する。  息子がアレルギーを持っているのもあって、乾燥機にもかけるし、手すりにも干す。  ついでにしばらくぶりに毛布も乾燥機にかけて広げておいたら、帰省している息子が、布団の上にがばーとおおいかぶさって「ひゃー」とフザけている。もうとっくに夫の身長を超えて、20代の体格。さらに遺伝と思われる広い肩幅と長い手で、頬に毛布を感じるようにうつ伏せになりながら、「ひゃー」と大の字になっている。  大好きな毛布。

発達の問題を抱える子の親が、どうか自分を責めませんように

 発達障害については、息子のごく幼い頃から気になって調べていた。  個性とのちがい。どんな特性があるか。何が問題なのか。  たくさん本を読んだし、親子カウンセリングについての講座を受けたりもしたけど、私がわかっていないことも多かった。  幼少期に何よりも参っていたのは、息子のかんしゃくだった。  だけど、かんしゃくが発達の特性と関連しているなんて、つい最近まで知らずにいた。  2年ほど前だったかnoterさんの記事で見かけたのだ。お子さんについての話がまるで自分の息子のこと

背中を見せるのも大事なのかもしれないなあ

 どうもコソコソ家事をしてしまいそうになる。コソコソは後ろめたいとか隠したいとかそんなニュアンスの意味ではなくて。終わると「じゃーん! ここキレイになってるでしょお?」とか「ほら料理ができたでしょう?」とかサプライズな気分で。  でもそんな気分でいても、誰かが「いつの間に!」と驚いてくれるわけでもない。夫も息子も特に何かを言ってくれるわけではない。  子供の頃に、母を驚かせたくていつの間にか何かをキレイに磨いていたとか、どこかを片づけたとか、何かを作ったとか。母が目を丸く

発達の特性のある子の難しさと、話の聴き方を考え続けている

 息子が帰省した。   発達障害の診断は、2つがしっかりと下されたそうだ。   今後息子がそれらにどう対応し、どう生かし、どんな風に暮らしていくかが大きな課題。  息子はコミュニケーションに特に問題がなく、穏やかで周りもよく見ている。と思っていたけど、少しちがった。  私たちが会話をしながら感じる行間のようなものを、息子はあまり感じられず、それまでの経験や思考力で補っているのだそう。今回息子が打ち明けてくれた。  たくさんの会話を経験したことで、後天的に人とのコミュニケ

お母さんたちだって、それぞれにがんばってるよね

 自分の子供に何かをさせるとかさせないとか、親が決めていくのっておかしな話だよなと思っていた。でも子供に何かしらの期待をしてしまうことってあるみたいだ。  それはすっごく小さなことから。ほぼ無意識に。いつの間にか。気づいたら。  できるだけ子供に親の意向なんか感じさせてはいけないと強く思うのに、肝に銘じていたのに、いつの間にかアドバイスめいた言葉をかけてしまう。自分はこんな風に対処したとか。こうやって乗り越えられたとか。自分だってこんなに大変だったとか。自分や知っている人の話

親子の会話を存分に

 noteで、どこかの親子の会話に楽しくなったり、心がホカホカ温まったり、キュンとしたり。そんなやり取りを読むのが好き。    ななみさんの親子の会話もよくキュンとさせられる。息子くんのかわいらしさはもちろん、それを表現するななみさんの文が楽しい。何年か前にギューン! と強く2度、心をわしづかみにされてから、ななみさんのお母さんぷりと息子くんとの会話に度々身もだえさせてもらっている。  そんな息子くんにも弟ができて、自分は小学校に通うようになり、すっかりお兄ちゃん。  こんな

子どもの寝顔と見つめる親

 子供が自分の身長を超え、声変わりしたら、いったいどんな気持ちになるのだろうと想像できずにいた。  自分より大きくなってしまうと、かわいいなんて思えなくなる日が来るんじゃないかとか。ずっと子供がかわいいなんて気持ちが悪いんじゃないかとか。  いつかこの感覚を持てなくなる日を思って、少し寂しく思ったり怖く思ったり。  でも「かわいい」の意味合いが変わってくるんだよなあ。  自分より小さい頃はサイズ感も含めて、あどけなさとか無垢なところとかが愛らしいけど、20歳過ぎたってずっ

笑顔をたくさんありがとう~母の月によせて~

 幼少期は、私はお母さんには要らない子なんじゃないかと思っていた。お兄ちゃんは勉強もできて、いろんなことを覚えていて、たくさんのことを知っていて、好奇心があって、おしゃべりできて、ユーモアがあって、向かっていく強さがあって。私にはない部分ばかりを褒めているのを私に言って聞かせるから。お兄ちゃんみたいになりたくて真似ばかりして。  でもなれなかった。  私は勉強でいつも怒られて怖かった。  ピアノを教わる時も厳しくて怖かった。  私に得意なことも、特別なところもないって思って

春の味覚と、料理を楽しめるようになった体調に感謝

 息子の春休み、一ヵ月近くの滞在を終え、札幌に戻る前。  一人暮らしで無頓着なりがちな、季節のものを食べてほしくてがんばった。更年期症状の重さも少しずつ改善されてきているおかげもある。  たけのこご飯は一度作ったし、もう一度作っても良かったのだけど、スケジュールを考慮して炒め物に。  つくづく料理の記録を投稿している人に感心してしまう。いちいち手を止めてスマホを向けるのが面倒だし、何よりうっかり忘れてしまう。          ↓↓↓  過程を写すのを忘れてたー!  

人それぞれの道を自分の力で歩いて行くしかないけれど

 他の人の人生まで背負うことって難しい。自分の親であっても子供であっても。その人の人生はその人にしか進めない。  だから考え過ぎてもどうしようもないんだ。私がコントロールするものではないし、できない。責任があってもすべてを一緒に歩くなんてできないもの。時々寄りそって時々支える。あっちへ駆け寄り、こっちに駆け寄り。私はそんな自分の人生を愛おしくも思う。  それでも息子の心を思うと、ついついずうっとそばで支え続けたくなる。多分はたから見ると、サッパリしているように見えているかも

キミの発達を見守るしかない私は、どんな言葉をかけてやれば良いのだろう

 急に札幌に行くことになって、この一週間バタバタしてしまった。  3月上旬、息子が帰省すると、ちょっと前から精神状態があまり良くないのだと打ち明けてくれた。自らカウンセリングにも通っていると言う。  内容を聞いて、私がどうにかしてあげられるのかわからず、夫も私も息子の気が向く時に話し相手になる。  2週間ほどでだいぶ気分も落ち着いてきたようだったけど、札幌に戻りたくないと言い始めた。真意がはかりかねて引き続き息子の気分の変化など待った。  細かなことは、何年後かに笑い話と

息子の幼稚園時代の話を何度もしてしまうのは

 幼少期、お遊戯が嫌いだった私とは裏腹に、息子はお遊戯が好きだった。  そんな子供の、自分とちがう面はそれはそれでかわいいものだ。  幼稚園での発表会だの運動会だので、踊る機会があるとウチで必ず熱心に自主練に励んでいた。  本当にそんな振り付けかとか疑わんでもなかったけど、別に何だって良いのだ。かわいいから。  当時住んでいたアパートの、和室を舞台に見立ててリビングの部屋に向かって、練習風景をくり広げてくれるのだった。  年中さんの秋の大きな発表会では、息子のクラスは「

ゆっくりでも自分のペースで、よく頑張ってきたね

 ちょっと前に、息子が大学対抗の競技プログラミング、アジア大会に出た。  競技プログラミング、普通は個人でのぞむものだけど、この大会は3人1組になって挑戦する。  詳しいことは私にはよくわからない。とにかく夏に一度、国内予選を突破した者プラスαたちの合宿もあって、全国の大学生たちが集まったみたいだ。  楽しかったと言うその様子を聞いて、とてもうれしかった。  彼らの中には、日常生活とのバランスがうまく取れない人もいるし、何でもうまくこなせるオールラウンダータイプもいるそうだ