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源氏物語を読みたい80代母のために 30

 さて、気がつけばもう30話に突入です80代母。
 娘のテキトーな翻案源氏を曲がりなりにも全巻読破し「源氏物語アカデミー」も全講義コンプリート、もはやフル装備やん!80代パワー半端ない!と思っておりましたが。
 甘かった。
 そんなチャチな女じゃなかったッ……!
 怒涛の年末からのんべんだらりの正月も終わり、末娘の成人式も終了してようやくホっと息をついたタイミングで母からの電話。
 ひとしきり曾孫が如何に可愛いか賢いかを語りまくったかと思えば(いやこれが実に可愛い賢い乳児なのよ←叔祖母バカ)、
「ところで、『枕草子』って何?」
 突然のド直球質問。
 ビビる私。
「えーとえーと、清少納言て人が書いた
 宮仕え女房の日常アレコレ
 定子さまマジ最高!こんなことあんなことで褒められてマジ感激!
 みたいなコラム?エッセイ?みたいなやつ、かな」
 とこれまた「ひかるのきみ」仕込みの超テキトーな説明をしたら、
「ああそうなのね(いや納得するんか)。最近ね、ゆーちゅーぶで平安時代関係の動画いくつか観て、ああ枕草子も清少納言も聞いたことはあったけど殆ど知らんかったわーこういうことやったんやーって感激して。アンタにも聞いてみたの☆」
 などとのたまわれる。
 とりあえず知っている限りの説明を加える私。
「えーとねまず清少納言は紫式部とおなじく宮仕えの女房なんだけど、時期が違う。紫式部が来た頃はもう清少納言は宮中にいなかった」
「ふんふん」
「清少納言が仕えてた中宮定子は帝の寵愛も厚い賢い美人さんで、周りの女房達もハイレベル、一大サロンと化してたんだけど、後ろ盾が急死するやら失脚するやら不幸が重なった挙句本人も若くして亡くなっちゃう。当然サロンも解散になるんだけど、枕草子はその後に広まって評判になったらしいから、当然紫式部なら知ってたんじゃないかな(※諸説あり)」
「なるほどね!うんわかった!」
「いや私もそこまで詳しくな……」
「(食い気味に)いやね、私動画でみて、やっと清少納言がどういう人なのか、枕草子がどういう作品なのか少し理解できたの!それも源氏物語を読んだから、ああこういう生活をしてるこういう人が書いたのかって何となく繋がっての。ありがとねえ!」
 そ、そうなんだ。いったい誰のどういう動画を観たのかわからないのでイマイチ不安はあるものの、何だか凄い。80代の向学心ノンストップ。
 いっそ「枕草子を読みたい80代母のために」ってタイトルに変えるか?いや「平安時代を学びたい80代母のために」か。いやいやいや。
 ヤバい、この勢いではあと半年もしたら私より詳しくなってるかもしれない。来年の大河、いやまず今年の源氏物語アカデミーに向けて私も精進しなくては!
 ちなみに私の「枕草子」に対する知識は高校の教科書と大学の講義(内容記憶の彼方)、大昔に読んだ
「桃尻語訳 枕草子」橋本治
と、数年前に読んだコレ。

はなとゆめ 冲方丁

 さすがに母に解説するよなレベルにはない。やはりこの辺も深堀りすべきか。こっちの沼も深そうなんだよねえ。ていうか、蜻蛉日記やら更級日記やら伊勢物語やら、平安時代って言いだすとキリないんよね(しりごみ)。

 というわけで(どういうわけだ)とりあえずこういう動画を観てみた。
(もうずいぶん前にアップされたやつ)

 源氏物語アカデミーのラスボス、もとい監修と講師を務められた朧谷寿氏への特別インタビューである(今見たら山本淳子氏、高木和子氏のもある!後で観よう)。以下、内容を搔い摘む。
 源氏物語の中で出てくる「地方のイメージ」は武生!
 しかし父について来てみたら
・文化はない
・寒い
・何もいいことがない
 なのになぜ一年半も滞在していたか?
「それは食べ物!食べ物が美味しいから!」(前監修者の清水先生談)


 ……うえーん!!!(元地元民)
 食べ物が美味しいことは事実である。水が超軟水のせいなのかどうか知らないが何しろ豆腐や厚揚げが美味しい。小芋も味が違う(ウチの子談)。母の煮っころがしなんぞ送られて来た日には大皿二杯分が二日で終了。
 しかし、しかしですよ?文化がないとはどういうこと。越前は「上国」だったし昔から職人が大勢いたところだし芸能も盛ん。寺社仏閣も多かった。お参りって貴族女性の娯楽ランキング最上位じゃないのおおお?まして父は国司、主だった寺社仏閣は訪問したはず。紫式部だって雪がない間はついて行ってたんじゃなかろうか?紙が高価だからうかうか書き留められなかっただけなんじゃ?
 気を取り直してもう少し搔い摘む。
 
  小浜に宋人が70名ばかり漂着、越前国へ引き取ることに。漢文に明るい為時は当然謁見した。紫式部も会ったんじゃないかという説はあるけど、それはないと思うな。やっぱり宣孝の求愛が鬱陶しくて逃げたんだよ、その方が面白いし♪

 ……紫式部の性格ならこっそり陰で聴いてたりしたんじゃないだろうか。で、後で父娘でこういってたよね!って復習&確認。文書の読み書きとか、絶対手伝ってる。超優秀な娘だもん。宣孝に宋人観に行こうぜって誘われたという説もあるらしいし、大河でそういうエピソードやってくんないかなあ。
 などと勝手なツッコミを入れつつ動画鑑賞終了。
 朧谷氏はさすが長年武生に通い詰められたお方、最後はキッチリ決めてくださいました。

「紫式部が一年半住んだ」
 というのは一番の宝。地元の人がもっと認識して、意識して、外の人を迎えるようにするべき。ここ武生にきたら「源氏物語」の匂いがする、というレベルまで。
 武生はもっと発展してほしい!!!

 ありがとうございます。まるっとその通りだと思います。
 福井県人、越前市ガンバレ!

 さて武生って本当に「文化ない」「何もない」ところだったのか?
 次回からそこを探ることにします(←根に持ってる)。

最後の最後に宣伝タイム:
 80代母が1~2か月に一冊(新書版)のペースで読破した、
「挫折しない源氏物語」
 の「ひかるのきみ」

 よかったらお試しくださいまし。
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「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。