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「雛」幸田文著:図書館司書の短編小説紹介

 人を動かすには理詰めで説き伏せるのと、情に訴え掛けるのと、どちらが有効なのだろう。
 「できる上司」の心構えが書かれた自己啓発書にありがちなテーマだけれど、本作を読んでまず考えたのがそのことだった。
 
 主人公の女性は、一人娘のためにできる限りの、いや身の丈を過ぎるほど精一杯に贅を尽くした雛祭りを行いたいと決意する。
 そのために分不相応なほど高価な雛人形を買い求め、子供用の座布団やお膳やお椀、重箱の一式も揃える。
 さらにそれだけでは飽き足らず、雛壇の周りを飾る幕すらも染物屋に依頼して整えてもらった。
 こうして設けられた豪奢な雛遊びに招かれた女性の父母と義母とは、その場では彼女の計らいを褒め上げる。
 けれど後日、父は女性を呼び出し、「ことごとくし尽くしてみたらあとにはなんにも残らず、からっぽだけが残」るというのはくだらない。「あれはいささか子どもに分不相応」だ、とやり過ぎであることを理を尽くして注意した。
 次女である女性は、父が姉の雛祭りの時には盛大な祝いをしたのを知っており、自分の時とは格段の差があったことへ不満を抱いていた。だから父の意見はもっともだと思う一方で、折からの不満も入り混じり心は澱んでしまう。
 同時期に、彼女は義母とも雛祭りについて話す機会を持った。その時に言われたのは、祖母である自分にも「心の入りこむ隙」を残しておいてもらいたかった、ということだった。
 不備があれば、「来年も雛の買い物をして孫へ送る楽しみもある」とのように。
 父と義母とでは、言い方こそ異なるが、女性に伝えたいのは「やり過ぎてはいけない」ということだ。
 そして女性は、義母の「さみしさを愬(うった)え」た話しぶりの方に親近感を持ち、より素直に反省させられたのだった。
 物語は、この時に揃えた雛人形たちがどのような末路を辿るかまで描かれている。
 それを見届けるのも読者として切ないのだが、より印象に残ったのは、以上書いて来たように、話し方の相違によって人の心への響き方が大きく異なるということだった。
 
 
 
 

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