「人形」小林秀雄著(文春文庫『考えるヒント』所収):図書館司書の短編小説紹介
本作は、ほんの三ページの小随筆に過ぎないのだけれど、もっとずっと長い、上質の小説を読んだ時のように、余韻がいつまでも胸にこだまし続ける作品だ。
著者が、急行の食堂車で遅い夕食を食べていた時のことだ。四人掛けのテーブルの前の空席に、「六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした」。
その夫人は食事の間、垢染みた顔の人形を横抱きにし、「はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる」といった動作を繰り返していた。
夫の方は、「子供連れで失礼とでも言いたげな」様子だった。
そこから著者は、夫人が人形を息子代わりにしているに違いないと推測する。
「一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている」と、想ったという。
そこへ、大学生とおぼしき女性がやって来て、著者の隣に座る。
「彼女は一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった」。
話は、ほぼこれだけだ。けれど、老夫婦の背景に語りつくせないだけの過去があるのが察せられる。
そのことを著者は、彼らの所作の一つ一つから推測し、理解し、思いを寄せる。同じく女子大生も一瞬で場の状況と事情とを悟り、受容し、老夫婦を思い遣る。
まったくの他人同士である三者が、ほとんど言葉を交わすことなく、人形も家族の一員として会食に参加していることを了解し合ったのだ。
この点が著者の琴線に触れ、随筆として著した一番の理由であろう。
著者と老夫婦の間に、思いやりで結ばれた束の間の共同体が無言のうちに形成され、そこに新たな人が加わっても当然にその小世界が持続されたこと。
そのようにして著者の琴線をかき鳴らした音色が、読者である私の胸にも響き伝わって来るのだ。
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本文は随筆なので、正確には「短編小説紹介」とは違うのだけれど、小説的な文章でもあるのでお目こぼしをお願いいたします。