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#037 人間観察の奥深さがわかる「英国諜報員アシェンデン(モーム著)」

モームの作品をまたひとつ読み終えて、良い読後感がありました!

今回は簡単に振り返ってみたいと思います。

最近のモーム履歴から話します。

元々月と六ペンスは読んでいましたが、しばらく小説そのものから離れていました。今年の最初に何気なく読み始めたモーム短編集上巻を読んで再びモームにはまりました。すぐに下巻、ジゴロとジゴレットと読み進め、今回の英国諜報員アシェンデンを読みました。

英国諜報員アシェンデンはスパイの物語で、期待を裏切らない充実感のある作品でした。次は短編の雨か、まだ読めていない人間の絆を読んでみたいと思っています。どちらも手元には用意したのでどちらを先に読むかという問題で近々きっと両方読み終えることでしょう。


英国諜報員アシェンデン


タイトルの通り、スパイが主人公の物語です。私は007などスパイの映画は大好きでしたのですが、アクションシーンの多い映画とは違って、この作品はスパイの静かだけども粛々と仕事をしているスパイの日常が描かれていて、リアリティがありました(実際のスパイの日常を知っているわけではありませんが)。モーム自身も作家でスパイを経験していたこともあり、モーム自身の自叙伝っぽさもありました。作品の冒頭でフィクションだと紹介がありましたが、フィクションとは思えない情景描写で、自分もアシェンデンになった気持ちでスリルを味わいました。


モームの人生


モームの人生は波乱に満ちていて、人生史だけでも作品になりそうです。

フランスのパリで生まれて、両親が亡くなってしまったことから10歳で孤児になり、イングランドで叔母のもとで結核に苦しみながらも育ち、ドイツの大学を出てロンドンに戻ります。ロンドンで医者の修行をしながら作家を志して執筆を開始。これが20歳までの話です。それからは本を書いたり、アメリカで劇作家をやって大成功したりします。40歳の時に第一次世界大戦が始まり、ジュネーブを本拠地に諜報活動に従事。重要な任務のためにロシアに潜入したりもしました。その後は執筆したり結婚したりサナトリウムで結核のために療養したりと濃いめのライフスタイルを送ったあと、91歳で亡くなられたそうです。

大河にしてほしいくらいライフイベントが多い人物のようです。

そんなモームの人生を踏まえると、諜報員という設定の今回の作品は、「実際に諜報員ってどんなことをしていたの?」という知的好奇心を駆り立てるテーマに対して実体験ベースの(空想ではない)シーンが垣間見れる作品でした。スパイをやったことはありませんが、アシェンデンの活動は納得感がありました。「諜報活動という歯車の全貌を見ることができる人間はおらず、あくまで一部にしか関わることができないし知ることもできない」という描写が冒頭にありましたが、自分が送った暗号の結果、ターゲットの人物がその後どうなるのかを知る由がない諜報員の思いがわかります。


印象に残った登場人物:ヘアレス・メキシカン


主人公アシェンデンが付き合ってきた諜報員の中では、ヘアレス・メキシカンが印象的でした。ヘアレス・メキシカンはやはり強烈に印象に残ります。信念を持っており、自信もある。そばにいて頼もしいくらい自信に満ち溢れていて、かつポジティブで、経験も豊かでやるべきことをわかっています。彼の自信は経験からきているので、根拠のない自信ではなく確固たる自信であるところが魅力的でした。どんな職業であれ、こういう手練になりたいところです。

ヘアレス・メキシカンは背が高く、ほっそりしているにも関わらず、とてもたくましく見えた。服装はおしゃれで、青いサージのスーツを着て、胸のポケットにはシルクのハンカチを綺麗にさして、金のブレスレットをしている。顔立ちは整っているが、少し大作りだ。目は茶色で輝いている。そして、まったく体毛がない。黄色っぽい肌は女性のように滑らかで、眉もまつ毛もない。かぶっているかつらの毛は薄茶色で、かなり長く、わざと乱してカールさせてある。このかつらとしわのない黄色っぽい顔とダンディーな格好は一見すると、ちょっと恐ろしい。不気味で、滑稽でもあるのだが、目が離せない。グロテスクな魅力のある、不思議な男だ。

英国諜報員アシェンデン, P93

試しに画像生成ツールに書いてもらうと、ヘアレス・メキシカンはこんな感じになりました。イメージしていた人物像と少し変わりますが、おしゃれで自信に溢れていそうなところはこんなものかもしれません。小説の人物の想像上の姿は読者各々あるので、あまり具現化しない方が良いのかもしれません。


印象に残った登場人物:R


Rは終始登場するアシェンデンのボスですが、たまにユーモア溢れるやり取りがあってコメディ要素として印象的でした。マカロニのシーンと、ブランデーのシーンが個人的には好きでした。


「マカロニは好きかね」Rがたずねた。
「マカロニと言ってもいろいろありますからね」アシェンデンは答えた。「詩は好きかときかれているようなものですよ。キーツやワーズワースや、ヴェルレーヌやゲーテは好きです。そのマカロニというのは、スパゲティ、タリアテッレ、リガトーニ、バーミセリ、フェットチーネ、トゥッフォリ、ファルファッレ、普通のマカロニ、どれのことです」
「マカロニだよ」Rは相変わらず言葉が少ない。
「シンプルなものはなんでも好きです。ゆで卵、オイスター、キャビア、升の蒸し焼き、サーモンのグリル、ロースト・ラム(鞍下肉が特に)、ライチョウの冷製、糖蜜のタルト、ライス・プディング。ですが、全てのシンプルな料理の中で唯一、毎日食べて飽きないどころか、その度に食欲の増すのがマカロニです」
「それを聞いてほっとした。イタリアに行ってほしいんだ」

P82

どこが好きなのかは説明が難しいですが、明らかに言葉が少ないとわかっているRに対して、あえて過剰に言葉数を増やしているアシェンデンと、アシェンデンに明らかに助長な言葉を並べられているのにも関わらず遮らずに聞いているRの表情を想像すると笑ってしまいました。


ブランデーのシーンはこちらです。

「ブランデーをもう一杯、どうかね」Rがたずねた。
「いえ、結構です」アシェンデンは節制が身についていた。
「ろくでもない戦争を忘れられるなら、なんだってやればいい」Rはそう言ってブランデーの瓶を掴んで、自分にもう一杯、アシェンデンにもう一杯注いだ。
アシェンデンはこれを遠慮するのは申し訳ないと思ったものの、Rの瓶の持ち方についてはひとこと言わずにはいられなかった。
「若い頃、女は腰を抱け、瓶は首を掴めと教えられたものです」と小声でいった。
「いいことを教えてもらった。だが、わたしは今まで通り、瓶は腰を掴んで、女には十分な距離を置くことにするよ」

P84

良い大人は、直接文句を言わず間接的に伝えるというのが好きなところです。「いらないって言ったのにブランデー注ぐんかい!」と思ったところで「指摘するところ瓶の持ち方なのかい!」となり、「女には十分な距離置くんかい!」とてんでずれたやり取りに笑ってしまいました。


印象に残った登場人物:ハーバード卿


ハーバード卿は、長らくひとり語りをする人物なのですが、ハーバード卿との会話をする中で、虚栄心についてのアシェンデンの解説が印象的でした。

「まさか」アシェンデンはいった。「道理のわかる人はみんな知っていることですが、魂を悩ます感情の中で、虚栄心ほど破壊的で、普遍的で、根深いものはありません。そして虚栄心の力を否定するものがあるとすれば、それは虚栄心しかない。愛以上に破壊的です。歳を重ねれば、ありがたいことに、愛の恐怖も愛の枷も指を鳴らせば消えてしまいます。しかし、虚栄心の鎖から自由になることはできません。愛の痛みは時で癒すことができますが、傷ついて痛む虚栄心を癒すことが出来るのは死のみです。愛は単純ですから、見るがままです。それに引き換え、虚栄心は百もの偽装で人を欺きます。その上、多かれ少なかれ、あらゆる美徳にこれが含まれているのです。勇気の推進力であり、野心の活力であり、愛するものに誠実さを、ストイックなものに忍耐を与え、名声を求める芸術家の炎に油を注ぎ、正直者の高潔さを支え、それに台帳を与えます。謙虚な聖者の心の中でも、シニカルに笑っているのが虚栄心です。これから逃れられるものはいません。防ごうと苦労すれば、その苦労に漬け込んでつまずかせる。虚栄心の攻撃には打つ手がない。どこを売ってくるかがわからないのですから。誠実さもその罠から逃れる道具にはならない、ユーモアもその嘲りを防ぐ盾にはなりません。」

P333

虚栄心。みえ。それは誰しもが持つ性質だということを語っています。愛と違って、年が経っても失われることのない性質だというのです。虚栄心を自分は持っていないという宣言も、虚栄心からきているのです。自分は虚栄心を持っている。という宣言ももしかしたら自分は虚栄心の存在を認めた、他の人とは違う素直な人間だという虚栄心からきているのかもしれません。なんてことでしょう。虚栄心という概念についての一つの考え方をこのセリフから学びました。


他にも印象に残ったシーンはたくさんあるのと、アナスタシアなど魅力的な人物はたくさん登場するのですが、紹介はここで一旦おしまいにします。

おしまい。

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