見出し画像

読書記録「蹴りたい背中」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、綿矢りささんの「蹴りたい背中」河出書房新社 (2003)です!

綿矢りさ「蹴りたい背中」河出書房新社

・あらすじ
6月 高校1年生の長谷川初実は未だ学校に馴染めていなかった。

理科の実験の班分けははぐれ者にとって辛い時間。仲良しグループに入れず、少数単位の仲良しメンバーに申し訳なさげに加わるからだ。

同じ班には仲良し女子3人組と私、そして一人でずっと雑誌を読み耽る"にな川"という男子。何だ同類かと思ったがどこか違和を感じる。

読んでいる本が漫画とか男性向けの雑誌ではなく、洒落たOLが読んでいそうなファッション雑誌。にな川が眺めていたのはオリチャンというモデルであった。

雑誌を見た時、この笑顔を見たことがあると思い出す。駅前の無印良品のカフェで実際に会ったことがあると。

それを聞いたにな川は初実を自宅に呼ぶ。持ちかけられたのは、初実がオリチャンに出会った場所の詳細を地図に書けとのこと。

ふと机の下のプラスチックケースが目につく。中にはオリチャンが出演する雑誌やラジオの景品、サイン入りのハンカチや指輪などのアクセサリー。それから少女の裸にオリチャンの顔を当てはめた挿げ替え写真…。

女の子が部屋にいても気にせずオリチャン出演のラジオに夢中なにな川。もの哀しく、丸まった無防備な背中を、初実は思いっきり蹴りたくなった。

愛情感情でもなく、いじめたいわけでもない、思春期の微妙な心理を描く非常に良い作品でした。

この作品を読んで、最初はどうして初実が「蹴りたい」という衝動に駆られたのかがわからなかったが、考えてみると彼女の置かれた状況が関係していると思った。

「離れたい」感覚と「蹴りたい」衝動

私事であるが、自分も集団行動が得意ではない。特に大人数の飲み会が苦手です。

隣の人と接点があるわけでもなく、かと言って仲良しグループの輪に入れず、話に入り込むこともできず、ただただ真顔で酒を飲み続ける。

とりわけ上司や恩師を囲って輪のように集まるのが大の苦手。

あの人と話したほうが良いよと言われても、何を話せばいいかわからないし、既に周りにいる人達と同じテンションになれない自分がいる。

それでも人から離れている自分のほうが、客観的な視点で沢山のことを知っていると思い込んでいる。

物語の中盤、部活の顧問と生徒でのやり取りを遠巻きに見ていた初実に、先輩がこう吐き捨てる。

「あんたの目、いつも鋭そうに光っているのに、本当は何も見えていないんだね。一つだけ言っておく。私たちは先生を、好きだよ。あんたより、ずっと」

同著 86頁より抜粋

離れていることで、確かに見えることがあるかもしれない。けれども実際は、

見ているようでいて、何も見ていない。
客観視のようで、主観に惑わされている。
傍観しているようで、観客席にもいない。

そんな立場でいると、コミュニケーションは「傷つけ合うもの」だと考えてしまう。

例え話だが、ボクシングには"クリンチ"という防御方法がある。
相手の懐に入り込み、身体に抱きつくことで攻撃から身を護る戦法である。

コミュニケーションも同じで、相手に近づけば近づくほど、相手は手が出しづらくなる。一方自分が離れれば離れるほど、間合いを詰められ攻撃を受けるようになってしまう。

自分から離れていくと、他人からの言葉や行動が悪意としか受け入れなくなってしまう。

人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに。

同著 88頁より抜粋

背中を蹴ることで、物理的に距離を近づける。蹴った時は人とつながりを感じられる。

傷つけ合うことが人間関係ならば、人を「蹴りたい」という行動は彼女なりのコミュニケーションなのかもしれない。

これが綿矢りささんが意図したことなのか、本当のところはどうかはわからない。少なくとも、もっと人に興味を持って近づこうとは思う。それではまた次回!

この記事が参加している募集

今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。