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「好き」を言葉にすること。

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

あっという間に過ぎ去った9連休。明日から仕事かと思うと、少々憂鬱気味。

リサイクル工場の現場作業員時代。早番だと4時起床なのに、「明日から仕事だ」というストレスから、悪い夢にうなされることもあった。

最近はそんな「連休明け症候群」を感じないのは、好きなこと(書くこと)を仕事にしているからだろうか。

それはさておき。連休中は、会社の図書スペースで借りてきた、三宅香帆さんの「『好き』を言語化する技術」ディスカヴァー・トゥエンティワン (2024)を紐解いていた。

仕事で役立つ文章、と言うよりかは、noteにおける読書感想文とか、読書会で本を紹介する話し方にも通じるエッセンスが、多く記されている。

例えば、推しの素晴らしさを伝える時には、以下の2つのフェーズを意識すべきと語る。

フェーズ①:相手との情報格差を埋める
フェーズ②:自分の伝えたいことを伝える

同著 118頁より抜粋

かれこれ2年以上、読書会「東京読書倶楽部」の主催をしているが、本の紹介が上手な人は、①と②のバランスが良い。

読書会であれば、フェーズ①で「本のあらすじや背景」などを語り、フェーズ②で「自分は何を思ったか・何が良かったか」を伝えることが一般的。

できれば、①と②のどちらもバランスよく紹介してくれると、聞き手も「なるほど」と思いやすいのだが、一方に偏ってしまうこともしばしば。

特に歴史や哲学などの、教養を深めることに重きを置いている方は、どうしてもフェーズ①が長くなってしまいがち。

逆にミステリーなどのあらすじ(①)をあまり語ることができず、どんなに衝撃を受けたかだけ(②)を伝えるのも、歯がゆいところがある。

それを踏まえて、フェーズ①とフェーズ②をバランスよく伝えることが大事だと。

(もっとも、作品・作家に対する熱量が強ければ、どんな紹介でも読みたくなってしまうのが、読書会の主催者の性ではあるが)。


そもそも、なぜ「好き」を言語化する必要があるのか。三宅さんは「自分の言葉をつくりだす」ためだと述べる。

他人の言葉を拝借するんじゃなくて、自分の言葉をつくりだす。
その姿勢が、あなたの、自分自身への「好き」への信頼を生みだす。

同著 71頁より抜粋

若干話が飛躍するが、以前参加した読書会にて、「本を買うときに、通販サイトのレビューやブックメーターの書評を参考にしますか?」と聞かれた。

その方は、作品の評価が低いと、読むのを渋ることもあるそうで。

個人的には、あまり通販サイトのレビューや評価は見ないでいる。

もっとも、通販サイトで本を買うこともないから、そもそも「見ていない」が正しいのだけれども。だけど「見たとて」って感じだ。

例えば、「この作品の評価は4.8だから読んでみよう!」とか、そういう感情で本を買ったためしがない。

そんなふうに、あまり他人の意見に引っ張られて、作品の好き嫌いを決めてしまうのは、少々勿体ないことではあるまいか。

もちろん、自分の推しの作家であれば、「周りがなんと言おうと自分は好き」を貫き通せるとは思われる。

だけど、好きな作家・好きな作品であっても、否定派の意見や感想を見ると、好きが揺らいでしまうのは致し方がないこと。

それゆえに、自分だけの感想を抱き、自分だけの「好き」を言葉にする。

あなたのオリジナルの感想こそが、自分の揺るぎない推しへの信頼につながる。それこそが、また回り回って私達の人生の価値観をつくりだす。

同著 107頁より抜粋

「好き」を言語化しているうちに、自分自身の経験や記憶が呼び起こされる。

湯本香樹実さんの「夏の庭」の読書記録を書いているうちに、小学生の頃に亡くなった母方の祖父のお葬式を思い出したように。

瀬尾まいこさんの「夜明けのすべて」を記しているうちに、不登校時代の母と父のありがたみを、改めて思い馳せたり。

言葉にしているうちに、作品と自分の人生に共通点が生まれ、考え方や価値観を鮮明にしていく。

それが著者の意図とは違う答えや捉え方だとしても、私自身が抱いた感想には嘘偽りがない。

たとえ、他人から「本当に読んだのですか?」と問われてもだ。

推しの魅力を伝えたい、推しのよさを記録したい、推しの面白さをわかってほしい。これらの欲望の間には、推しと自分しかいないはず。他人を介在させる必要なんてない。だから、他人の言葉に自分が影響されないように。

同著 149頁より抜粋

未だに、吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」の読書記録に残っているコメントのショックが強く、けれども、1つの指針にもなっている。

それは、私のnoteの読書記録は書評ではなく、読書感想文だと言うこと。

読書感想文を残しているのは、私がその本を読んでどう思ったのかを書き留めておきたい、という気持ちが強い。

そう考えてからだろうか。感想文とは違う角度の指摘が入っても、「それは知らん」とスルーできるようになった。

話が別の方向に進んでしまったが、「推し」への愛を言葉にする技術だけではなく、何のために言葉にするのかまで知れる、いい本でした。それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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