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読書記録「大聖堂」
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今回読んだのは、レイモンド・カーヴァー 村上春樹翻訳「大聖堂」中央公論社 (1990) です!
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・あらすじ(作中の言葉を使います)
妻の話によると、今度友人の盲人が我が家を訪ねてくるらしい。
妻とその盲人は、代読作業の仕事で知り会い、仕事を辞めたあとも二人の関係性は続いていたことは聞いていた。
妻は盲人に対して、定期的に日々の暮らしのあれこれをテープに吹き込んでいた。かつて過量服薬で自殺を試みた経緯もだ。
そんな腹心まで語り合った盲人が訪ねてくるらしい。
だが私は盲人そのものに対して、正直あまり良い印象を持っていなかった。
あくまでも映画で得た知識だが、大抵の盲人は動きがのろく、黒のサングラスを掛けた顔の変なやつだと。
しかし、実際に訪れた盲人は、そんな印象とはまるっきり違っていた。
立派な顎髭をはやした老紳士。煙が見えなくてもタバコを吸い、教養さえも感じられた。
そんな盲人と酒を交わし、食事を取り、ヤクを回している内に、最初は白けていた私も徐々に打ち解けていた。
時間は進み、二人でテレビを見ている間に、世界中の大聖堂を撮影する特番が映し出せれる。
不思議と私は、実物を見たことがないと思われる盲人に対して「大聖堂とはこんなものです」と語りたくなって……。
東京読書倶楽部の読書会にてレイモンド・カーヴァーを知り、今年の夏に「Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選」を紐解いた。
その時からレイモンド・カーヴァーの作品が「好きだなぁ」と思い、先日の神保町は神田古本まつりにて見かけて紐解いた次第。
ちなみに、表題にもなっている「大聖堂」は、前出の「Carver's Dozen」に収録されている。個人的に一番好きな作品でもある「ささやかだけれど、役にたつこと」も本著に収録している。
逆に収録されていない作品だと、「保存されたもの」や「ビタミン」、「注意深く」などが挙げられる。
全てに該当する訳では無いが、どの作品も急展開と呼べるほどの事件などが起こるわけでもなく、どこか淡々と物語が進み、そして終わる。
そういう「これと言って何も起きない。それだけ」という物語が、個人的には好きなんだ。
それはさておき「大聖堂」だ。翻訳者である村上春樹は、この作品を「カーヴァー氏のマスターピースの1つ」だと推している。
妻は盲人である紳士に対して、失礼のないように振る舞う。「目が見えない」ことがどれだけ大変なことであるか、「頭」で理解しているからだ。
一方夫である私の方は、相手が盲人だからと言って態度が変わるわけではない。盲人に対して「電車ではどちら側の席に座ったか?」と質問するくらいに。
そんな私だからこそ、紳士の持つ心の痛みに触れることになる。
物語の終盤。テレビで映し出された大聖堂を「言葉」で説明するのだが、どれだけ語ったとしても全てを伝えきれないと気づく。
そもそも目が見えない人に対して、「大きい」「高い建物」なのだと伝えても、その感覚すら分からないものではないだろうか。
私自身、この目で見たことがあるから、どんなものでもイメージを思い浮かべることは難しくはない。
それはあらかじめ、1つ1つのものを「知っている」から、把握できるところもある。
でも、そもそも彫刻であれ大聖堂であれ、それがどういうものであるかを見たことがない人にとって、それを思い浮かべるのは困難であろう。
(そもそも、イメージを思い浮かべることが、正しい見解なのかも分からない。残念ながら、私は視覚情報に頼りすぎている)。
ふと小学生の頃、劇場で観た映画「子ぎつねヘレン」を思い出した。
目も耳も効かない小ぎつねのヘレンが、実際にどんな世界で生きているかを太一(深澤嵐)に教えるシーン。
広い野原で耳栓を付けられ、目隠しもされた太一。ちょっとした小枝に痛がり、普段なら難なく避けられる凹みにすらつまずく。
これが「ヘレンが生きている世界」なのだ。
つまり何が言いたのかというと、人の痛みを「知っている」ことと、「分かる」ことは、似ているようで異なる。
妻は確かに、目が見えないこととは何たるかを、理性的に「知っている」。しかし、結局は他人事でしかない。
夫である私のほうが、その盲人と同じように世界を見るようになる。目が見えない中、大聖堂とはなんであるかを描いていく。
私の目は閉じたままだった。私は自分の家にいるわけだし、頭ではそれがわかっていた。しかし自分が何かの内部にいるという感覚がまるでなかった。
そして私が見たものがどうであったかは、分からない。そんな風に終わりを迎える作品がいくつもある。
それが不思議と、、、好きなんですよね。いい意味で「それだけ」って感じなのが。それではまた次回!
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