言葉は常に変化する
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
読書会に参加される方々は、何かしら専門知識を備えていることが少なくない。歴史や哲学の造詣が深い人もいれば、経済や投資に精通している人もいる。
私は目的もなく本を読むことが多いが、何かしら専門性というか、一つくらいは学問的なことに精通したい。
とはいえ、1頁に文字がぎっしり詰まった哲学や思想系は苦手、正直タイトルだけで諦めてしまう。
大学時代は経済学部でゲーム理論を学んでいたが、今から学び直すほどの熱量はない。
そんな時、先日読書会にいらっしゃった方が、吉岡乾さんの「フィールドワーク言語学者、巣ごもる。」創元社 (2021)をご持参し、言語学の面白さを伺った。
私の永遠の課題として、「人はどうして文字を読んで感動する(心揺さぶられる)のか」知りたいと考えていたため、言語学は良いかもしれないと手始めに紐解いた。
どうやら言語学といっても、様々な流派と言うか、学問によって言語に対する捉え方が異なるらしい。
言葉の意味について研究するのもあれば、読み方(音韻)や文法、そもそも言語のルーツとはなにか研究する学問もある。また、言葉で語られなくても、文脈によって心情や情景を理解する事もできる。
言語学の面白いところは、言葉は常に変化すること。
例えば、「早急に」という言葉は、本来「さっきゅうに」と読むのだが、今日の今日まで「そうきゅうに」と読んでいた。むしろ急に「"さっきゅう"に頼むよ」と言われても、おそらく聞き返してしまう。
2008年度版の広辞苑でそう-きゅう【早急】で調べると、さっ-きゅう【早急】へ移動する様に求められる。別の例だと、他人事を「たにん-ごと」を「ひと-ごと」と言うように。
それは逆に言えば、早急を「そうきゅう」と読む人が一定多数存在することを意味している。文字の変換でさえ「そうきゅうに」と打てば「早急に」と出てくる。
言葉は時代とともに変化する、普段見ている文字や言葉の中にも、学ぶことや気づくことで溢れている。
特に漫画や小説などの会話、話し言葉には自然と"語彙"や"文法"としては間違った使い方をする時がある(例えば「違かった」は本来「違った」など)。
それらに対して揚げ足を取るように使い方を間違っているという事も出来るし、いや現在多くの人が使っているのだから、この用途も一般的なのだと考えることもできる。
ちなみに、父はよく「これくらい(小さい)」のことを「こんちん-ばい」という言葉で表現する(もちろん川口市の方言でもなければ、「(これは)高知県の郷土料理だぞ」と熊本弁で話しているわけではない)。
母はいつも苦言を呈しているが、これもまた言語であり、考えようによっては研究対象となるのだなとも思った。
ちょこっと言語学の沼に嵌りそうな、今日このごろ。それではまた次回!